予防医学
予防医学とは【自然医食】
近年、欧米諸国では予防医学という考え方が主流となっており、病気にかからないように、生活を見直し、生活環境を整える事で、病気になりにくい体を作り、健康の維持と増進を図る事を主目的としている。
しかしながら、日本の予防医学の概念は有名無実となっており、この分野では米国に比べ、五十年の遅れをとっているのが現状である。その理由は別の所で述べているので割愛するが、簡単に言うと日本は米国の「草刈り場」になっているという事実がある。故に国民の意識が変わらない限り、我々 庶民は草刈り場の「肥えた草」であると云う現実を真摯に受け止めるべきであろう。
和食は「世界文化遺産」に登録され、世界中で大いに注目を集めている。和食というのは、日本の伝統的な食文化であり、その骨子は「自然の尊重」という日本人の精神を体現した食に関する「社会的慣習」として提案されている。
欧米人の有識者の間では、この伝統的和食を日常的に取り入れている人も多いと聞く。それがステータスになりつつあるようだ。それは私達日本人としては誇らしくもあるが、当の我々は、伝統的食文化を捨て去り、肥満大国アメリカの後追いをしている事は、文化の破壊であり、彼(か)の国の思惑通りでもある。
それはともかく、現代医学は交通事故や戦争による、肉体の損傷を修復する外科技術は格段の進歩を遂げている。また、感染症などの重大な疾患による危機に対しても、現代医療は命を守れる高度な医療を施すことが可能であるが、生命の本質は 目に見えないミクロの世界にある。
命を理解するには、東洋哲学で云うところの「空」の世界観が重要で、形あるものに囚われてしまうと、命の本質を見失うことになる。戦後の教育が、まさにその典型で物質の豊かさばかりを追い求めてきた結果が、現在の閉塞感を齎した最大の要因であろう。
さて、現代医学が手を拱いているかのように見える、慢性病対策は、自然医学的手法でなければ、根本的な治療効果は望むべくもなく、自然が用意してくれている次世代の命を紡ぐ「生命力」を戴くことでしか解決策はないのである。つまり巷に溢れている「不自然食品」を常食することは、命を削りとる行為でしかなく「生命力」を無駄に浪費し、「早老病苦」を招いているに過ぎず、まさに慢性病が生活習慣病たる所以である。
科学技術が隆盛を極めたかのように見える現代社会であっても、人の力では、単細胞生物一つ創造する事すらできていない。それは肉体に宿る「生命」の根源が、非物質のエネルギーそのものであるからに他ならない。現代科学が最も不得意とするところが、捉えどころがなく、環境に応じて千変万化する「生命」を見極める事なのである。
日本の近未来における予防医学の重要性
欧米では主流になりつつある予防医学であるが、一定レベル以上の知識層にしか認識されておらず、一般の人々や、特に低所得層では安く手に入る加工食品が好まれ、今まで通りの増病食を摂取し、病を患い「危機 的」状況を呈している。特に肥満大国と呼ばれる、米国では保険を持たない多くの人々が医療費が高額ゆえに病院にも行くことができない。本来ならば、この様な人にこそ予防医学の浸透が必要なのであるのだが・・・・・・。
さて、日本では医療費の増大に伴い、予防医学の重要性が叫ばれてはいるが、既得権益の壁に阻まれて、推進には相当な抵抗を覚悟しなければならないであろう。おそらくは全く進まないか、国民の健康に寄与しない形の予防医療の考え方が示されるであろう。
現状の医療制度のシステムでは国家破綻するしか道はなく、今日にでも大改革しなければならない状況なのだが、安穏と時は過ぎゆくばかりである。
福祉大国と呼ばれる北欧諸国では、社会に予防医学の考え方が浸透しており、寝たきり老人の人数も減少しているという。また、欧米での癌の死者数は減少が続いており、予防医療の考え方が定着し、治療効果を上げているようだ。
欧米の病院で慢性病の診断が下ると、医師はヘルスコーチにその治療を任せているという。ヘルスコーチとは、自然医学的手法により患者の生活習慣を見直し、食習慣の改善や栄養指導を行い、健康に導くための考え方を教育するのだという。
しかし日本では、癌を代表とする慢性病は増え続けており、国民は医療制度や医師に頼りきり、自らが健康管理する意識が希薄である。いや、健康に関心は深いのであろうが、枝葉末節の健康法に頼るのみで、根本の考え方が間違っているので、巷に溢れる健康法を求めても結果は出ようはずもない。
そこで医療機関と云う権威に頼るのであるが、大切な「生命」を守るのに、他人 任せでは心もとないと思うのだが、改まる様子は皆無である。真理を見極める知恵と、自分の健康は自分で守るという意識改革が最も重要であろう。
病気予防の三段階 【現代食は増病食】
第一段階【健康増進と食】『 命は台所で創られる 』
健康増進のためには、普段の生活習慣が大切であって、我々の肉体は、食べた物の質によって左右される。質の悪い食物を習慣的に摂取すれば、それによる毒素の蓄積によって体は蝕まれて、いずれ何らかの病を発症することになる。
「命は台所で創られる」という言葉がある。食事をするときは、両手を合わせ「いただきます」と言う。「戴く」とは、頭上に捧げ、押し戴くことを言う。「大自然の恵みを授けて下さって『お天道様』ありがとうございます」という意味である。
私たちは、いつの間にか見えざる偉大な力の存在を忘れ、便利で豊かな生活を享受するあまり、命の本質を見誤ってしまっている。この複雑な機能を備えた肉体を構成するのは、約四十兆個の細胞であり、その細胞の中には大切なエネルギーを創るミトコンドリアが、細胞と共生する形で活発に働いてくれている。
シアノバクテリアが遥か悠久の時の向こうで、地球に酸素を満たしてくれた事で、酸素をエネルギー原にして、活発に活動できる単細胞生物が出現した。性質の違う二つの単細胞生物が出合い、お互いの強みと弱みを補う形で合体したのが、私達の肉体を構成する細胞である。
生命は系統発生を繰り返すというけれど、子宮の中で二つの細胞が出合い、新たな命が誕生するという事は、まさに見えざる偉大な力のなせる神秘としか思えない。しかしながら、人間から見える光景は神秘であっても、宇宙生成 発展の掟からすれば、至極当然の結果であって、何の不思議も偶然も無く、只々法則に従うのみである。
命を育み健康を享受するためには、なんびと足りともこの掟に従わねばならない。掟破りをするから、不調に見舞われ、病を得るのである。即ち、自然の生命力を余すことなく、戴くことで免疫力が養われ、健康を維持できることを知らねばならない。
従来の考え方の上に、予防医学の概念を取り入れても、医療費の増大に歯止が掛から無いであろう事は想像に難くない。何故ならば、正しい予防医学の概念と、現行の医療制度とは「利益相反」するものであり、製薬会社の利権を守るために、国民のほぼ全員に予防接種を受けるよう促し、健康診断を義務化するような社会は異常であり、巨大な利権構造によって国は操られ、国民の利益は無視される社会構造が作られてしまっているのである。
ワクチン接種は強制では無いけれども、マスコミと結託し、感染症の恐怖を煽り、さも強制かの様に、予防接種に国民を駆り立て、血税の無駄遣いを平気で行う。また健康診断の義務づけなどは、医療機関に人々を誘導する装置に過ぎない。これらの政策は、憲法違反と言われても反論はできないであろう。そんな事に湯水のごとく税金を投入するから、財政破綻をきたすのである。
米国の「マクガバンレポート」の様に、食事改善目標を国民に発表するくらいの度量を、国は見せて欲しいものである。このレポートは、「伝統的日本食」が理想であると結論づけている。
- マクガバンレポート【1977 年アメリカ合衆国上院特別栄養委員会報告書】
- 7項目の食事指針
- 1、主食は全粒穀物(未精製・未精白)
- 2、豆類を摂る
- 3、野菜を多食し、野菜は生食が良い(※体質を考慮する)
- 4、海藻を摂る
- 5、魚介類を摂る
- 6、乳製品、卵は控える(※動物性加工食品)
- 7、肉食は控えるか避ける
(注:※は筆者)
- 7項目の食事指針
このレポートにより、多くの利権団体からの糾弾によって、マクガバン氏は事実上の政治生命を失ったと言われている。しかしこの報告以降、各種団体が「食と健康の真実」を堂々と訴えるようになったとの報告がある。例えば、世界的キャンペーンで煙草がやり玉にあがり、喫煙者が激減したが、肺がんは減る傾向を見せていないと云われていた。しかし、最新の日本以外の研究報告では、喫煙者の減少後、約30年かけて肺癌は減少に転じて、見事にその相関性が一致しているようだ。
しかし日本の現状は、喫煙者の減少にも関わらず、肺癌死亡率は2010年以降、鈍化傾向を示してはいるものの、減少するところまではいっていない。禁煙者が激減している現状で、鈍化傾向を示しながらも、欧米の様に肺癌死亡者数が減少に転じないのは、喫煙が直接の原因では無い、その他の要因での癌患者数の増加が考えられる。
煙草が健康に良ろしくないのは自明のことではあるが、人間の食性に合わない食材や、それに含まれる化学物質も危険な健康被害を招き、人を病に導く真犯人であり、それに伴う栄養(抗酸化物質)不足が病を重篤化する最大の原因である。
添加物まみれの加工食品や、粗悪な油などの食の汚染で健康を害し、病院を受診して、多くの必要のない薬を飲まされて、治ったと勘違いし、薬の副作用で体調を崩しても薬のせいとは思わず、また受診して大量の薬を処方してもらい安心する図など、笑い話にもならない。
粗悪な「健康を害する加工食品」には、誤魔化しの多い「添加物の表示義務」など何の意味も無い。それよりも「健康を損なう恐れの化学物質含有」と表示義務を課して欲しいものである。これこそが国民を守り、国益に叶う政策というものである。
大切な命を守る医療機関は、医療行為ごとに点数をつけ、その総合点で保険請求が行われる制度に問題があり、無駄な検査や治療などが行われ、必要のない薬剤が処方されている。治療行為が多ければ多いほど点数が稼げる仕組みである。命を守る行為が評価されるのではなく、患者にとって、無益な検査漬け、薬漬けの点数稼ぎで、医源病の温床と化しているのが、実際の医療現場である事を認識する必要がある。
医師としての責務を貫く事を誓っている、本物の医者であればこそ命を守らない制度に嫌気がさし、保険診療を拒否し、自由診療の病院を開業して、医師としての責務を 全うしようとしている。ただ健康保険がきかないから医療費は高額になる事は避けられない。
自由診療の病院を開業することは、相当な軋轢を生むであろうが、真の医療で患者を救いたいという、並々ならぬ覚悟を必要とする事は想像に難くない。その様な胆力のある医師は全体から見れば、極々僅かしか存在しないが皆無ではない。その様な正義を貫こうとする人物が、どの分野にも少数でも存在するという事実は、明るい未来への大いなる希望でもある。
第二段階【人体生理の真実】『 声なき、声に耳を傾けよ 』
不幸にして慢性病を発症した場合は、病院で適切な診断を受け、どのような状態であるかを正確に把握して、医師と今後の対策を話し合うことが重要であるのだが、患者側に相応の知識がないと、医師任せ、制度任せになり、医原病 発症の危険度が高まることになる。
医者と同等の知識を持てと言うのではなく、必要なのは現代医学の視点とは異なる、摂取した食物がどのような変化を遂げるかという、人体の生理機能を知ることが大切である。これは本来ならば、小学校の理科や保健の授業で学ばねばならない、生きるために必要な最低限の知識なのだが、教育力を失った、国家や地域社会、そして家庭の問題は民族を揺るがすほどの重大事と云っても過言ではない。
「食が血と成り、肉となる」と云う食育から始まる、人としての重要な、徳を積む教えを抜き取られて、生きるための知恵を学ぶ事無く、理科、数学、国語、社会などの知識偏重の、受験脳を鍛える小手先の技術しか教育していないから、世の中がおかしくなっている。それさえも疑問に思わない頭の構造になってしまったのは、教育が劣化してしまったことに尽きる。
話を人体生理に戻すと、解りやすく表現するならば、現代栄養学が示すような、個々の食品のカロリーや栄養分析値などはさほど重要では無く、命の源である各栄養素が、体内で各種の酵素、消化液、腸内細菌などの影響を受けて、生命進化の道筋を辿りながら、腸絨毛に摂り込まれて、やがて赤血球や白血球と云う、単細胞生物に生成発展する姿が、腸管 造血であるという事を理解し、真の生命観を養わねばならないという事である。
この様な命の仕組みを深く理解する事で、自らが的確な健康管理ができるようになり、医者に頼らずとも、早期発見、早期治療が自己判断で可能になる。そもそも、人間生理に基づいた生活習慣を送っていれば、健康を害する事などあり得ない。
病気とは、間違った生き方の羅針盤であり、不調が現れるのは、その誤りを正すように諭す、小宇宙と云う肉体からの「悲痛なる叫び」であることを理解する必要がある。その声なき声に耳を傾け、自分の身体に備わっている、生命を守る仕組みを、最大限に機能させるか否かは、あなた次第なのである。
その為には、不自然食を食卓から遠ざけ、調理する寸前まで生命力の宿っている食材を吟味し、理にかなった調理法で調理された料理を戴く必要がある。そうする事で、体内の細胞は生命力に満ち溢れ、難攻不落の真の健康体を身に着ける事が可能となる。
第三段階【食による臓器損傷】『 超免疫で機能回復 』
食の誤りを放置し、症状が悪化し身体機能に重大な障害を及ぼす、「食が血となり肉となる」という人体生理の理解が不可欠となる。国家の負担で高度治療も受けなければならない事態であるからには、これまでの生活習慣を大いに反省してもらわねばならないことは言うまでもない。
その上で正しい「食性」に従った食事によって、本来の肉体の機能を取り戻し、それまで以上の健康体での社会復帰も夢ではない。外科手術によって臓器を切り取ることも、時には必要であるかもしれないが、食事改善する事によって、肉体は超免疫を獲得し、機能は目覚ましい回復を果たすのである。
現代医学的対処療法を続ける限り、ゆっくりと終末に向かうことは避けられない。統計では晩年を、十年もの永きにわたって、寝たきりの状態で過ごさねばならない。そんな状態で誰しも生きたくはないが、食の常識を覆さない限り、避けては通れない道である。
人生、百年時代を迎えようとしている。健康で長生きであるならば大いに結構なことだが、実態は管につながれて、医療技術で無理にでも生かされている現実は、それが当たり前のように思わされてはいるのだが、果たして、それが間違った医療や生命観の結果であるとしたら、どの様に償うのであろうか。
一方で元気溌剌と晩年を過ごす人もいて、ある日突然寿命を迎える人も少なく無い。生活の質を上げ、晩年も元気に過ごす為には、意識改革を行い、これまでの行動を変えて正道を歩むしかない。それには、マクガバンレポートの様な食事改善目標を、国が示すことが望まれる。その上で、自然に則した生き方を拒否し、これまで通りの道を進むことも選択肢ではあるが、苦しい晩年を迎えることを覚悟する必要がある。
それは自業自得ともいえるが、道に反した生き方によって家族は勿論、社会に多大な損害を与えるのであるから、その費用は公的資金によるものであってはならない。自己資金で賄ってもらうしか無い。その様な制度改革を進めるには、国民が鬨の声を上げ、燎原の火の如く燃え上らねばならないが、眠らされている大衆は、なかなか目覚めない。
予防医療が必要とされる理由
人間の体は、加齢によって少しずつ老化や疲労が蓄積し、回復力も低下していく。そのような肉体は、疾病体質が顕著になって、病院通いとともに更に衰え、幾つもの病院をはしごする事になる。だが、それは加齢による当然の結果なのであろうか?。生まれてから今日まで、間違った食の継続によって年々衰えていくのであって、加齢とは無関係なのである。確かに四十代の半ばを過ぎる頃から、衰えが目立ち始め、病気がちになってはくるが、それは間違った食により蓄積された汚染物質によるものであって、老化が原因ではない。
正しい食習慣によって、自然の「生命力」溢れる食材を摂取する事で、活力みなぎる健康体で生活する事は、夢物語ではない。元気であれば活動量が徐々に減少して、遂には家に引きこもる事も避けられる。
また、罹りたくない病気の最たるものが「認知症」であるとの世論調査もあるように、最も恐れられている疾病の一つであり、2030年には六十五歳以上の二十%が罹患するという統計も存在する。この恐れられている認知症さえも間違った生活習慣の結果である。
四十年もの間、生命力を失った食品の害に立ち向かっていれば、肉体は疲弊し生命力が尽きても当然と言える。免疫力の強弱には個人差があり、抵抗力が弱ければ、もっと早くに発症する事例は山ほど起きている。
では何故、間違った食行動を四十年も続けながら、多くの人が元気であるという錯覚を起こすのであろうか。免疫力の差が生じるのは、生まれ持っての体質もあるのだが、重要なのは何を食したかによるものであり、生まれ持っての体質とは、胎児の時の母親の食習慣の影響を受けて、その体質は決定されるのであって、固有の遺伝情報さえも、食の質に左右される腸内環境の支配を受けて、遺伝子の「ON・OFF」が決定されている。
生命力の乏しい、間違った食とはいえ、最低限の栄養は備えている。充分ではないが、不足する栄養は腸内細菌が生産してるという事実も見逃してはならない。そして最も重要なことは、日々入れ替わっている、我々の「体細胞」の再利用が行われているからである。
これはノーべル賞を受賞した「大隅良典博士」の研究でも明らかになったように、生物に備わっているエコシステムである。因みに、大人で一日に約二百グラムの、自前の蛋白質がアミノ酸に分解され、再合成されリサイクルされている。
これらの働きで必要な栄養素が補給され「恒常性維持機能」が衰える事なく、機能し続けているお陰で、元気に生きていけるのである。「自然治癒力」、即ち個人に備わった「生命力」と「免疫力」の差こそが、頑健な肉体であるか、虚弱体質であるかの差なのだ。
しかし、健康を自負する人物であっても、一般的な現代食を摂取している限り、健康と思い込んでいるだけであり、その肉体は砂上の楼閣であることを認識しなければならない。おそらく、、、、いや、断言しても良いが、定期的に襲ってくるであろう体調の悪化を感じているはずである。
この様な食の間違いにより、蓄積される汚染物質を排泄する為に、蓄えられている栄養素や生命力を無駄に浪費してしまい、この食習慣が継続されるほどに、肉体が疲弊し衰弱していくのは避けられない。言わば己の生命力を、自らが削り取りながら、命を縮める愚かな行為と言わざるを得ない。単に短命で終える人生ならばそれも選択肢であろうが、そのような自然に反する生き方は、多くの場合苦しみを伴いながら、晩年を生きる事になる。
悪食が問題なのは、その質の悪い食によって、腸内細菌フローラが悪玉菌優勢となり、その産生物質である有害物質が、添加物などの毒素と反応して更なる毒素を産み出す事が、健康を障害する最大の元凶なのである。
食性を逸脱した誤った食行動は、与えられた「生命力」を自ら奪い取る愚かな行為であり、厳しい表現をすれば、反社会的行為に当たる。「生存の原理」に従った正しい生き方を全うすれば、健康で何の憂いもない、幸せな人生を生きる事が可能であるはずなのに人は間違いを犯すものである。それによって、平均すれば四十~五十歳で肉体の限界を迎えて様々な「生活習慣病」との戦いが始まる事になる。
正しい食とは、直前まで生きていた食物の生命力を戴く行為であり、その栄養素を組織細胞に蓄えることで、自然治癒力を高め、免疫力を養うことができるのである。家庭の台所が「命創り」の最前線なのだが、昨今この様な文化は失われつつある。
核家族化が極限まで進み、個人主義が極まったかに見える社会では、古き良き伝統文化が失われる悲しい現実を突きつけられるが、そんな中で生きるために働かねばならない現実は、いかんともし難い。せめて忙しい主婦の為に、生命力あふれる食材を提供する地域密着の「自然食」の店舗が増え、正しい食を学ぶ環境を整える事が急務と言える。
だが、その様なインフラの整備は遅々として進まない。進まないどころか、既存の自然食の店舗さえも街から消えているのが、現実ではないだろうか。であればこそ、何故、病気になり、何をすれば健康を回復できるかという、学びこそが重要であり、その様な知恵の取得によって、特別な自然食の店舗などが身近に無くとも、どこにでもある農産物によって、驚くほど簡単に真の健康を享受する事ができる。難しいのは、その為のマインドセットを整える事で、これまでの常識を破壊し、真理を掴むことができるかにかかっている。
素直な気持ちがあれば、一瞬で脳をリセットすることも可能なのだが、頑固な精神状態を柔軟に変える事ができない人には、不可能に近い事なのかもしれない。しかし極めて単純な「自然の摂理」を理解するだけなので、是非とも挑戦して欲しいものである。
自食作用(オートファジー)とは?
大隅良典博士【医学/生理学ノーベル賞】
2016年、大隅良典教授がノーベル生理学、医学賞を受賞したことで自食作用(オートファジー)が注目される様になった。自食作用は、細胞内を正常な状態に保つために、細胞内で不要となった老廃物質の分解処理を行う。再利用できる物質は処理解体されて、生命活動に必要な物質をリサイクルする事で、生き残るために高効率の、巧妙な仕組みを備えており、生命維持に欠かせない、恒常性維持機能の一端を担っている。
自食作用が働く仕組みとその役目とは
自食作用は、すべての真核生物(有核細胞からなる生物)に備わっている仕組みで、自食作用の大きな役割は、細胞内の老廃物の除去を行い、傷ついたり、古くなってしまって、機能が果たせなくなった物質の再合成をする事によって、恒常性維持機能を健全に保つ役目を担ってる。
細胞内には、生命を維持する為の複数の「細胞小器官」が存在していて、日々休みなく働いているので、古くなったり傷ついたりして細胞内には老廃物が蓄積していくので、それを「保守、点検、再生」する機能が「自食作用」である。これが停滞すると細胞は機能障害をきたし、様々な弊害をもたらす事になる。
このように、不要になった物質の蓄積を防ぐために、細胞内部を浄化する働きと同時に、必要な栄養素を回収し再合成する重要な働きを、オートファジー(自食作用)によって行なっている。この機能は、多少の毒物が侵入してきても、健康を維持する自然治癒力の根拠であり、重要な働きである。
人類は水さえ充分に補給することができれば、三か月ほど何も摂取できなくても生命の維持は可能だと云われている。古くから断食療法で病気治療が行われているが、その根拠となるのが、このオートファジー(自食作用)なのである。
人類の生理機能は、飢餓ストレスに耐えるために発達してきたと思われる。何百年もの間、一日の糧を得るために、動物を追い、食べられる植物を探す生活を営んできた。時には大怪我をしたり、植物の毒にあたり、病に倒れて動けなくなる事もあったであろう。そんな時は空腹に耐えながら、自然治癒力の力を信じ回復を祈る事しかできない。
じっと冥想するが如くに、安静を保ち「副交感神経」優位の状態で、肉体の機能回復が促され、傷ついた肉体が修復される。怪我にせよ、病に臥せっているにせよ、免疫力が最大化され健康を取り戻すことが出来るのである。
食欲が落ちた時に、周囲は「食べないと治らないよ」と栄養のあるものを食べるよう世話を焼くが、本来の生理機能は、空腹状態が最良の回復の手段なのだと云う事を理解する必要がある。
摂取されたものを消化吸収するのは、相当なエネルギーを要する。せっかく食欲不振で食を絶つという行動を促しているのに、ここで食べては元の木阿弥である。持てる生命力のすべてを機能回復の為に費やし、細胞の修復や機能の回復を行っているので、それを妨げないことが重要で、空腹時にこそ自食作用が最大化され、機能回復が促されるのである。
オートファジーで若々しい 健康な身体作り
自食作用を活性化して、体を若返らせ、健康に導くには、小食にして、胃腸を休ませる事が重要になる。そうする事で体中の傷んだ細胞が、自食作用(オートファジー)の働きで再合成され、生まれ変わるので、若々しい肉体と健康を手に入れる事が可能になる。
断食療法は古来より、取り入れられている健康法であるが、実行するのは非常に困難が伴うため、一般的にはお勧めできない健康法と云える。唯、その健康効果は、オートファジーという生理機能によって、理に適った健康法であることが、名実ともに認められる様になってきた。
小食にする事で、オートファジーという自食作用が活性化し、これだけの恩恵を得られるのであるが、その上で正しい栄養生理学に基づく、生命を育む為の「食事指針」に沿う食生活を営むことで、本来人間に与えられた「真の健康」を享受できるのは勿論であるが、持って生まれた能力を遺憾なく発揮できる可能性をも秘めている。
飽食が病を作る
現代社会は、大小の食品工場で製造された加工食品が全国に流通し、その為に食品添加物があらゆる食品に、必要以上に加えられてしまっている。手軽で利便性を求めるが故に、物事の本質が置き去りにされてしまい、命と直結する食品や医療の分野でさえ、経済合理主義が優先されてしまう様な事態は、本末転倒と云わざるを得ない。人間の生命活動を支える、食の真実が余りに歪められ、間違った常識が流布されている現状は、見るに忍びない。
飽食の時代と云われて久しいが、手軽に得られる清涼飲料水やコンビニ食品。或いは、加工食品満載のスーパーマーケットでの、惣菜類や菓子類などの食品は、生命力を失ったジャンクフードと言っては言い過ぎであろうか。
これらの生命力を失った食物を常食し、あまつさえ、過食傾向が顕著な現代人の健康状態は最悪だ。国民の大多数が習慣とする現代食は、増病食と揶揄されている事を多くの人々は知らない。そういう食の間違いが、病に直結することを警告する立場から言わせてもらえれば、その様な毒を喰らう様な食生活を漫然と続ける行為は、狂気の沙汰としか思えないのである。
健康な人が週に一度か二度その様な邪食をするならば、恒常性維持機能が働き、健康を害することはあり得ないが、病氣を発症した人は、その原因が食の間違いであることを認識しなければ、健康を取り戻す事は出来ない。病氣の原因となった食習慣を継続することは、更なる健康被害を重ね、本人のみならず家族をも巻き込んで苦しむことになる。
恒常性維持機能とは、自然治癒力とも表現される生物に備わっている神秘の力である。人類のそれは、数十億年の生命進化の歴史の中で高度に磨き上げられて発達した、命を守る驚きの仕組みを持っている。完璧とも云える神秘のシステムが、正常に働く管理法を熟知し実行すれば、システムが機能して「真の健康体」がどれほどに素晴らしいかを、あなたの肉体を通して教えてくれる事だろう。
アンチエイジングは空腹から
生活習慣病と恒常性維持機能
巷には、食欲を昂進させる様々な食材が氾濫している。家庭に冷蔵庫が無く、食品の流通も地産地消が当たり前であった時代と比べれば、圧倒的に食品の質は劣悪になっている。それは取りも直さず、健康被害を引き起こす元凶なのだが、恒常性維持機能の働きによって、体内汚染が薄められる事で、体調不良が表れるのは、幸か不幸か数か月を要する。その為、食と不調との因果関係が分りずらくなっている。
生活習慣病
その汚染の度合いや、体質によって不調は様々であるが、許容される毒物が壁を超える事で、血液中や組織に毒素が漏れ出し、それが不調の原因となるのである。現れる不調が悪なのではなく、蓄積した毒物が不調の根本原因であり、それを溜めないようにすることが元気の素なのだが、そうゆう認識は皆無で、益々健康被害を募らせてしまっているのが現状の姿である。
自然治癒力
生活習慣の悪癖により、組織に蓄積した毒素を排泄し、肉体を守る巧妙な仕組みが人体には備わっており、その毒素の排泄を終えると、不調は消えてしまうのは道理である。質の悪い食生活が原因であるからこそ、そこを改めない限り、また毒素が溜まり、壁を超え不調が表れてくることの繰り返しになり、その繰り返しによって、組織は疲弊し生活習慣病を患うことになる。何故、不調が現れるかの原因追及を疎かにするから、同じことを繰り替えし、堂々巡りの不毛な時を失うことになる。
医者や薬に頼る習慣は社会悪
毒素をため込む食習慣を改め、不足する栄養素の補給こそが、健康回復への絶対条件となるのだが、一般的な健康を求める人々の優先順位は、病院受診であり、薬の服用であって、生活習慣を改める事に関心がないのは、驚きと言わざるを得ない。社会の常識が、オールドメディア(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の流す情報を絶対視する余り、誤った情報を信じて、健康を害してしまう危険性は計り知れない。
オールドメディアの収入源は、広告収入による割合が大きく、広告主の意向には逆らうことが難しい。正しい本物の情報は隠蔽されてしまう事を我々は理解する必要がある。隠蔽されるのみならず、経済合理主義による消費者の安全など、全く考慮しない商品開発がまかり通る食品業界並びに、健康にかかわる製薬、医療、それを統括する国の中枢は、利権にまみれて国民の利益など、無きが如しの政策ばかりである。
安心安全の社会構築は家庭の生活改善から
仮にあなたに家族があり、子供や妻、或いは夫を守る立場であったならば、その間違った食習慣で、命を失う様な病氣を招く事になるとするならば、大人は少なくとも、自分の無知を恥じて結果を受け入れるしかない。しかし、無垢な子供は、与えられる増病食ともいえる食生活を強いられる事で、食源病である健康被害を被るのである。幼い子供の生命を左右する食生活には、重大な責任が伴う。
決して、偶然や遺伝によって病気になるのでは無いことを断言して起きたい。世の中は因果律で動いており、病氣には重大な食の誤りという原因があり、遺伝子疾患であったとしても、遺伝子は食によって齎される環境が発病のスイッチの、ON・OFFを決定するのであって、正しい食によって、良い環境を整える事で発病を防ぐことができるのである。
世間一般の常識的な生活習慣によって、国家予算の半分を占める医療費が投入されても尚、病氣が減少する傾向は見せず、益々増加する一方である。それは、国民の生活習慣が、間違っている事にほかならず、税金を食い物にする利権構造の犠牲者とも言えなくもないが、自分で考える事を放棄し、社会に貢献する気概を失ってしまった民族の、哀しい未来を見る思いである。
食の間違いは 腎臓 に深刻ダメージ
自食作用はあらゆる細胞で不要な物質を除去したり、有害な物質から細胞を守る事で、肉体の恒常性を保っている。
間違った食行動による、血液の汚染は限界を超え、その浄化装置である腎臓は疲弊し、今や全国で人工透析患者は三十三万人を超えている。その治療費には、二兆円になんなんとする巨費が投じられているのである。腎臓病に限らず、生活習慣病の治療のための費用が、国の財政を圧迫している事は、誰の目にも明らかである
さて、腎臓には「ネフロン」と「糸球体」と呼ばれる組織があり、血液を濾過し、老廃物を尿として排泄する役目と、必要な物質を再利用する役割を担っている。毛細血管が密集した「糸球体」では、効率よく血液を濾過し、不要な老廃物を尿として排泄するのだが、必要な栄養素の再吸収には多くのエネルギーが必要であり、この時に酸素からエネルギーを生み出しているのがミトコンドリアで、そのときにどうしても「活性酸素」という物質を生み出してしまう。
活性酸素は、細胞内の物質を酸化させて、ミトコンドリア自身も傷つけてしまいかねない。外敵の処理や体を守るために利用されているが、活性酸素除去酵素(SOD)が充分であれば問題は生じないが、現代食を食する環境下では、酵素不足による活性酸素の弊害が大きくなり、そうして弱ったミトコンドリアが蓄積、細胞は脆弱化して、臓器の炎症につながり、腎不全に陥る可能性が高まってい
この炎症からの腎不全を防ぐために、活性酸素で傷ついた部分に対しオートファジーが働き、傷ついた部分を修復再生を行う。この様に重要な働きをする腎臓では、ミトコンドリアが他の臓器に比べて活発な分、活性酸素が発生しやすい状況にある為、オートファジーの働きや、抗酸化物質の摂取はより一層重要となるのである。
このような状況下で、食の汚染による腎臓への負担が増すことで、腎障害が引き起こされる。正しい食環境を整えることが、腎臓の負担を軽減して、人工透析などの社会負担の大きい治療も避けることができるようになる。
個々の人々が自分や家族の健康を深く考える事で、ひいては地域社会の税負担も軽減され、社会貢献にもつながり、良いことずくめだと思うのだが、この想いはなかなか実現しそうにもない大きな壁ではあるが、健康と社会福祉の為に切り崩さねばならない。
精白食品による栄養不足が 糖尿病 の恐ろしい原因
現在の一般的な家庭で食される食事内容では、慢性病という生活習慣病を予防することは、ほぼ不可能と云わざるを得ない。白米、白パンを中心とする主食に、加工食品や魚肉を質の悪いサラダ油で調理した料理は、化学物質によって汚染された「増病食」と云っても過言ではない。
今や、国民病とも称される「糖尿病」の原因は、精白食品(白砂糖、白米、精白小麦など)による、食物繊維不足による「血糖値スパイク」の発生によって、引き起される急激な血糖値の乱高下が繰り返し起こることで、膵臓は疲弊しインスリンの分泌が衰えて必要量を確保できなくなるために、糖の代謝が滞る事で発症する。
これを予防するために、糖質制限が薦められたり、野菜を先に食べて、最後に糖質を摂ると云った工夫が推奨されているのだが、どんなに工夫しても、生命力を失った食材を中心に、献立を組み立てていては、生活習慣病の発生リスクを回避できるわけではない。
災害が発生する確率が高い時に「命を守る行動」を促すアナウンスがなされているが、命の危機にさらされる災害時には、多くの人々がそういった行動を取ってくれるのだが、日々の食生活の内容が、命の危機に直結しているにも関わらず、質の高い本物の健康情報には見向きもせず、枝葉末節の健康法に一喜一憂している。これでは「命を守る行動」には程遠いと言わざるを得ないのだが、社会全体がその様な本物の情報に関心がなく、本質を見極める能力を欠いていると云わざるを得ない。
「完全食」とも謳われる未精白の穀物を主食にすれば、生命力に満ちた食材に含まれる、幾多の栄養素の働きによって、四十億の細胞が活発に働き「命を守る行動」を細胞自身がとる仕組みを備えている事を忘れてはならない。
正しい食習慣であれば、自然治癒力が最大限に高められ、最良の肉体を創り上げてくれるのである。そうなれば先ほど枝葉末節の健康法と貶した、あらゆる健康法が意味を持ってくるようになる。つまり、一方で良いものを摂りいれても、主たる食材が穢れていれば、肉体は滅びに向かうことに気付いて欲しい。
時には、あなたの忠実な防衛部隊であり分身である、四十兆もの細胞組織の命にも、意識を向けて感謝する事も必要ではないのか。四十兆の細胞は、言わば近衛兵であり、そして腸内環境に生息する腸内細菌叢(腸内フローラ)は、例えるならば近衛兵を補佐する民兵である。
この兵力は百兆から一千兆もの大軍なのだが、この大部隊は条件によっては、反乱を引き起こす民兵なので、あなたが差し出す報酬によっては、簡単に裏切って総攻撃をかけてくる。その民兵を強い味方にしておく為には、細菌部隊の特質をよく理解し、それに合わせた報酬を吟味して与えねば、天寿を全うする前に攻め滅ぼされることになる。これがあなたの肉体で起こっている恐ろしい現実なのだ。
間違いだらけの 癌 の常識
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栄養不足 と 食品汚染 がもたらす社会の闇
生活習慣病は【無知の極み】
一般的に食されている、現代食には、人間が生きるために必要な栄養素が、絶対的に「不足」しており、しかも添加物で汚染された加工食品が氾濫し、食の環境汚染が甚だしく、スーパーやコンビニで買える安全な食品は皆無と云っても過言ではない。
人間は正しい食生活を営む事で、真の健康が得られるという事実を、ほとんどの人は知らずに日々を過ごしている。人間は完璧ともいえる生体システムをその肉体に宿し、生命活動を行っており、正しい食性に従って生活すれば、その完璧な仕組みによって、病を患う可能性など微塵もなく、僅かな不調さえも感じる事のない、真の健康体を獲得できるのである。
「医食同源」の意味するところを深く心に刻み、間違った食を改めて、健全な肉体を磨き上げる事は、一人一人に課せられた義務であり責任であろう。それを怠る事は、自分自身と社会への裏切りでもある。何故ならば体を壊し、その治療に税金が投入されて、社会負担を増す元凶となるからだ。それにも増して我とわが身を傷つけ、命を危うくさせている事実は、社会の活力を奪い取るのみならず、一生懸命に働いた挙句に、その晩年を病の床に臥せって過ごさねばならないのは、本人にとっても痛恨の極みであろう。
人間の肉体を構成する細胞の数は約四十兆個であり、、そこに共生する常在菌や腸内細菌数は、百から千種類、一千兆個もの生命の集合体なのである。人の健康に大きく関わる腸内細菌叢は、その個人が摂取する食の質によって、造られる環境に適した細菌が優勢となり、腸内環境を支配する事になる。高度成長期には大気汚染、水質汚染が環境を破壊し多くの健康被害を齎した。
同じように、私達の腸内環境は、摂取する食物の質や種類によって決定づけらている。邪食による栄養不足は、免疫力の低下を助長し、人の生理に合わない食物は、腐敗菌優勢の腸内環境を生み出し、その腐敗菌が産生する毒素が血液に吸収されて、健康を害する最大の原因となっている。
良きにつけ悪しきにつけ、生命は環境に支配されて、日々その生命を紡いでいる。高度成長期の環境破壊が、今まさに我等の体内で引き起こされているという現実を真摯に受け止めなければ、長寿世界一であったとしても、何の意味も持たない。寝たきり病人の数は、世界でも突出しており、不名誉な世界一となっている。
かつての環境破壊による公害訴訟などの反省から、社会の努力によって、自然環境は劇的に改善されてきたのだが、現在直面する食の質の低下による安全神話の崩壊は、当時の環境悪化よりも、さらにひどい状況と言わざるを得ない。その為の健康被害は、国の財政を圧迫し続けており、それは食を正すことで、劇的に改善するのであるが、何故か政府も自治体も、そこに資本を投入して、食による健康被害をなくし、医療費の削減を試みるつもりはなさそうである。
何故ならば「食と病氣」の因果関係がうやむやにされてしまい、社会に健康を維持する為の、正しい思想が欠落しているからであり、偶然感染症にかかり、病気になるのだと錯覚していたり、遺伝だから仕方がないと思い込み、健康は自らの創意工夫で、生み出すものである事に関心がなく、医療制度や医師に頼るばかりで、健康リテラシーは皆無と云っても過言ではない。或いは、正しい食生活が健康の基本である事を理解しつつも、その場の欲により身勝手な食行動を繰り返し、健康を害し取り返しのつかない結果のオンパレードである。つまり健康や命の何たるかを、国民が全く理解してないからである。
その一方で、巷では空前の健康ブームと云われている側面も事実として存在する。しかし、正しい食の理解や、消化吸収という生理機能が正しく理解されないまま、古い栄養学や生理学に則った解釈での食行動では、真の健康は得られるはずもない。命というのは、日々の生活の地道な積み重ねによって、育まれるものであって、正しい人体生理の理解なくば、コマーシャリズムに乗った健康法に翻弄されて、肉体は疲弊してその努力も徒労に終わるであろう。
自然治癒力という神の力
現代社会は、非常に複雑にできている。しかしこの宇宙を創り上げている真理というものは 単純明快である。神の力と言うと怪しげな教えを想起するかもしれないが、宗教が発達する太古の昔から人類は神を崇めてきた。人には自然やその力に対する畏怖心があり、それが信仰心という心の働きになっている。 宗教というのは、その働きを利用して権力を得ようとする愚かな行為であるが、そもそも人類はお互いが協力しながら コミュニティを運営し存続を図ってきた。
はっきり申し上げるけれども、本来人間に備えられた生命力をないがしろにした結果、現在の病が蔓延する不健全な社会なのである。真理というのは非常に単純であると申し上げたが、その真理の一つである人の自然治癒力を効率よく発動させる為には、自然から乖離した生き方であってはならない。終生、健康で元気で過ごすには、神の力である自然治癒力を頼りにしなければ、病を得て苦しむことになる事を避けられない。
人類が 類人猿から分岐し 人類としての進化を始めたのは 500から700万年前と言われている。現代人の我々は、約20万年の歴史を持つ種族である。 20万年の人類の知恵の蓄積は、相当な科学的根拠を持って認められるべきである。ともすれば非科学的という言葉で切り捨てられる事が多いが、長い歴史の中で淘汰され、生き残ってきた人類の生活の知恵は、普遍的な再現性に裏付けられており、だからこそ伝統医学や民間療法として伝承され、人類の叡智として語り継がれているものであろう。
それを非科学的 と断罪するのは、それこそ人間の傲慢のなせる技である。300年前の江戸時代において貝原益軒が残したような養生訓もある。或いは2400年前の医聖ヒポクラテスは、すべての病氣は「腸」から始まると云う至言を残している。
数千年前の時代であっても、 正しい情報が伝え残されており、人類の拙い科学技術よりも、優れた直観力や、閃きによって得られた叡智こそ真実を物語っている。何千年も語り継がれてきた人類の知恵が、現代において科学的物証をもって、正しいことが証明され始めている。最先端の科学技術は、自然現象を後追いで説明する技術でしかないのである。それを何かと物証を示せと言うのは、自分の無知を晒しているのも同然と云わざるを得ない。
情報が氾濫する現代にあっては、ある人々によって バイアスのかけられた情報しか得てないことが多いが それを鵜呑みにすることは非常に危険である。自ら考える力を失った日本人はそのミスリードによって、真実を覆い隠されていることが見抜けないでいる。民度が高いと云われた日本人が何故にそこに気がつかないのか不思議である。新聞、テレビの情報に洗脳されてしまい、オールドメディア(ラジオ テレビ 新聞 雑誌)の発信する情報は神の声の様に信じ込まされている事は悲劇である。
しかし、インターネットが高度に普及した今、真実を求めようとすれば、すぐにでも真実にたどり着くことが可能になっている。ありとあらゆる情報が氾濫し 本物を見つけるのは困難を伴うが、そこは自分の見識を高める事によって取捨選択するしかない。本気で本物の情報を取ろうとすれば、必ず正しい情報にたどり着くものである。ネットのない時代にあっては、書籍と新聞雑誌、そしてテレビラジオの情報に限られてしまい、読書をしない人にとっては、バイアスのかかるマスメディアからの偏向報道に惑わされる傾向が強い。戦後の日本人が偏った情報にしか接することができない環境に意図的に追いやられてしまっている現実というものがある。
ネットを自在に操る若者の世代では、新聞はもちろんテレビさえも見ないという人が増えているそうだ。一人一台スマホを持つようになった現代では、偏った情報に惑わされる事が減り、隠されてきた真実が暴かれる事も少なく無い。例えば、武漢から始まったコロナ騒動は、一応の終息を見せているが、日本では未だに2類相当の扱いをしている病院や施設がほとんどである。この騒動の裏事情は、感染症の恐怖を煽り予防接種を促すビジネスに他なず、世界中が踊らされてしまったのだが、日本以外の各国の国民はいち早くその欺瞞を見破り、多くても三回の予防接種で打ち止めにした。翻って日本人は勧められるままに7回摂取したものも多い。
本来、薬剤は害毒であり、生命にとっては危機を齎す物質であるにも関わらず、病を治す特効薬かの様な扱いである。緊急時に止む無く使用するのが正しい利用法であるのだが、その副作用の恐ろしさを理解していない。例えば、害虫駆除や農薬に使われている薬品を思い起こしてもらえれば解るが、散布の対象となった昆虫や雑草は瞬く間に命を奪われるのである。
その様な危険極まりない薬剤を使用しなくとも、生命を守るための食性というものが存在する。人類は多種多様な食材を摂取する中、生命力豊かな食材を選んで摂取することで、健全な肉体を維持しなければならない宿命を持っているのである。生命力を失っている加工食品はもちろんであるが、自然食品であったとしても、生命力の失われている食材を摂取することで、活力が失われて命の灯はかき消されていくのである。
老いは避けられないものであるが、五十年後、百年後には老いを克服できる技術も生まれるかもしれないが、我々が今できる事は、加齢とともに老け行く肉体を少しでも遅らせる方法しかない。それには、生命維持の為の体の仕組みを理解し、それに従って生きるしかないのである。
自然はその仕組みを、準備してくれている。第一に食性という、その種属特有の食習慣である。人類の場合、穀物を主食にして、季節の旬の食材を副食にすることで、健康を維持する仕組みを備えている。つまり自然の中から必要な栄養素を過不足なく摂取する事で、大地のエネルギーが循環し生命力の源となる。
そしてその栄養素を獲得するためには、活発に動き続けねばならない。動植物に関わりなく、生命の最小単位とされる単細胞生物であっても、生命の条件を満たしていないと云われているウイルスであっても、人間の拵えた条件などとは無関係に、力強く活動し、必要な栄養素を摂取して生命を全うしているのである。
しかも始原生命誕生からの進化の歴史を辿る様に、生命は系統発生を繰り返すと云われている。そして細胞レベルでは、生存環境が悪化すると、細胞が崩壊しウイルスやリケッチア状の生命体となり、形を変えて生存を図るような仕組みを備えているのである。
私たち人間は、肉体である物質と、心である意識が融合して生命体を構成している。他の生物も同様であることは想像に難くない。鉱物であっても同じような構造をしていると思われる。さすがに鉱物に心があると言われても、ピンとは来ないかもしれないが、エネルギー体であることは否定できないであろう。
創造を絶する広大な宇宙と、人間の目には捉えられない、原子の構造は相似形を成しており、どちらもスカスカの空間に浮かんでいる。この原子を構成する素粒子が人類の到達した検知限界で、それ以下の超ミクロの世界観が非物質の世界である。
人は、心の働きがあり、様々な事を考えて生きているが、これが心だと取りと取り出して見せる事はできない。何故ならば、それは心や意識は物質では無いからだ。
物質で構成される世界を「明在形」と表現し、非物質の世界を「暗在形」と言うのだが、別々に存在するのでなく混然一体となってこの世界に存在している。東洋思想の心身一如と、西洋思想の心身二元論は、異なる考え方を表しているようだが、混然一体となった世界観では、どちらも正しく、心身二元論は心の側から物事を表現しているのであろう。
また天体は、何もない空間に星が浮かんでいる様に見えるが、そこには引力が存在しており、お互いが引き付けあっている。この目に見えない力が非物質のエネルギーであり、広大無辺の宇宙空間には、このエネルギーが充満しており、私達の肉体も、天体も非物質の見えない世界の結果なのである。
この様に宇宙は循環するエネルギーによって存在している。物質である肉体は、やがて寿命を迎え崩壊し塵芥となって、新たな生命の材料となる。しかし非物質の意識である心、、、、魂と言っても良いが、肉体を離れると非物質の世界に放たれて、永遠に存在し続けると言われている。そして、新たな課題と使命を以って、生まれ変わる準備をするのだという。
宇宙のあらゆるものが、自然の摂理によって生み出されて存在している。明在系を構成する物質は、やがて崩壊しエネルギーが放たれて、暗在系を構成する、非物質のエネルギーとなる。そのエネルギーの一部が意識体となって、生命を構成する重要な役割を担うことになる。この様に物体も意識体も、宇宙を循環する事で生成発展する仕組みを持ってると言われている。
・糖尿病患者とその予備軍は3千万人
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