人間の「食性」に適った食行動によって得られる、健康効果を解説。この「食性」から逸脱した食習慣は生活習慣病の温床であり、QOLの悪化を招くことを身体で理解する事が重要である。

「命」の輝きを忘れない!「健康」は宝です!! 「病」を癒し、病院と縁を切る為のガイドブック

人は何故病むのか?

人は何故病むのか?

生きる目的を見失った人類

 人類がその他の生物と同じく、自然界の一部であることを疑う者はいないであろう。敢えて言えば神様の求めに応じて、宇宙と一体となった「自然の摂理」による生命進化の結果として、登場してきたのが人と云う事になる。その想像力によって、物質文明を発達させてきた人類は、その発展と共に自然に背き、自然を支配するが如き思想を生み、結果として病氣が蔓延する社会を自らの手で造り出してしまったと云わざるを得ない。

 かつての日本は、自然と共に共生する社会を、その優れた先人の知恵によって築いていた。江戸時代は世界に冠たる、循環型のリサイクル国家であったと云われている。先進国とされている欧州でも、同時期の町中は汚物が散乱し、悪臭漂う薄汚れた環境であったらしい。つまり江戸時代に生きた人々の倫理観は世界を圧倒し、比類なき存在であったと言える。

 翻って現代は、食品汚染が進み国家を揺るがす程に、生活習慣病が蔓延する社会になり果ててしまった。そんな日本の病巣は、教育を変えられてしまったが為に、国家観を失った政治家や官僚などの国の指導層が、外圧に抗する事ができず、国益を無視する政策を推し進めた結果なのである。例えば、種苗法改正で国内の優良品種が海外に流出したり、水道法改正で民営化を可能にして、外資に水道事業を売り渡す様な事例で、国の根幹を揺るがしかねない。

 至る所でこの様な外圧によって、国益が損なわれている事例が散見されるのであるが、問題はそれを多くの国民が知らないか、直ぐに忘れ去ってしまう事にある。その結果、小泉政権下での郵政民営化の例で分かる様に、郵便局員が地道な努力で築いた保険事業は、外資のアヒルに喰われてしまった。一千兆円以上もあるとされる預貯金の財産が、あの手この手でハゲタカに狙われ、それを許す政策によって奪われ続けている。

 これは、健康についても大いに懸念される事で、遺伝子操作の行われた農作物の輸入や農薬・添加物などの規制が緩められ、欧米で禁止されている化学物質の在庫処分が日本市場で行われている事実を知る人は少ない。それらの食品や添加物まみれの加工食品の氾濫によって、健康被害が出ている事実さえも、国民は知らされる事無く、常識の中に潜む嘘を信じ込まされる事で病気が蔓延し、既得権者が潤うだけの社会構造となっている。
 
 各地に存在するスーパーマーケット店舗内の、調理場で作られている惣菜であっても安心はできない。いかなる添加物を混入させて、美味しく感じさせているか分からず、殺菌剤・防腐剤などの処理が行われていても不思議ではない。大企業が開発して全国に流通している食品を美味しくする手法が、中小の食品業界にも適用され、消費者の健康を犯し続けている。家庭で調理する場合でも、様々な調味料や食材に含まれる化学物質は少なくない。正しい食の在り方が問われる時代なのである。

 多くの国民が信頼を寄せる医療制度にも大いなる闇が存在する。例えば税金で賄われる診療報酬などは、病院を受診する患者を治せなかったとしても、過剰な薬の投与であったり、意味の無い不必要な検査や診察で点数を稼げば、それに応じた報酬を受け取れるような制度になっている。患者の健康よりも、医療付けにして「生かさず、殺さず」が暗黙の了解事項であるかのようであり、巨大な市場の利権を優先させる仕組みが日本の医療制度の正体と言わざるを得ない。つまり、民間の営利企業であれば、詐欺行為で訴えられてもおかしくない程の悪徳商法である。

 病になるような環境作りをしながら、国民の生命を人質にし、医療にしか頼らざるを得ない選択肢しか与えず、猫も杓子も病院通いが当たり前という社会は、私からすれば笑止千万である。何故ならば、正しい知恵の伝承が行われていれば、人は溌溂と生きる事が当然であり、病院に患う人が群れを成す状況など起こり様も無い。

 しかも国民から正しい教育を奪い、従順な羊の群れに飼いならす手法は、今流行りの人権無視以外の何物でもない。各地で暴動が起きても不思議では無い状況を呈している。「貧しくも高貴である。」と謳われた民族の誇りや倫理観は雲散霧消してしまったのであろうか。

 庶民の私達が賢くあらねば、常識の中に潜む非常識な嘘を見抜けず、国家や企業の詐欺 的行為に騙されて、自分や家族を守る事すらできなくなってしまう。多くの国民はマスコミや行政が発信する情報は、正しいものと信じて疑う事をしない。しかし、その実態は外圧に屈し、国民を裏切り、それを暴かねばならないマスコミでさえ、真実を追求する気概さえなく、権力におもね、弱い者いじめが社風でもあるかのようである。マスゴミと嘲られる程に、その報道の気高き精神は地に落ちている。その様な風潮がマスコミだけに限らず社会全体を覆っている。

 それらの根本原因は、食生活が大改造されてしまった結果であろう。食は人を創り、文化を育て、豊かな社会の原動力となる。しかるに現代を支配する暗澹たる様相は、人財は国家の中枢に集まらず、我利我利亡者の巣食う巣窟と化している。世界に誇れる伝統文化を現代に残してきてはいるが、この国から新しい文化を生む想像力は、失われてしまっていると主張する声も存在する。その結果、社会の活力はどんよりと停滞し、国力の低下に加速度が増し、益々悪化する材料に事欠かない

 国家存亡の危機 的な状況にあって、魂を抜かれたエリートに頼る事はできない。或いは、救世主の登場を待つが如き、他者に依存する態度では解決には程遠いであろう。我々庶民にできる事から始めるしかない。お金をかけず、直ぐにでもできる簡単な方法が二つある。まずは、政治に関心を持つことである。

 そしてより重要なのは、心身を高次元に導く事のできる食を正すことにある。依存を生む食生活の改善こそ最善策であり、依存とは「甘い物」「白米」「白パン」「飽食」の事である。生命力の抜き去られた、これらの白物食品は体が求める栄養素が枯渇しており、それを体が求めて飽食傾向が顕著になる。

 飽食とは、正に自らを喰らう行為である。栄養価の欠損した食事は、体内から生命力を奪い、病を作る造病食でしかない。我々は食べる為に働くのではない。人として為さねばならない目的があって、その為に働き社会貢献する事こそが、この世に命を授かった者の、本来果たすべき役割なのである。



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