人間の「食性」に適った食行動によって得られる、健康効果を解説。この「食性」から逸脱した食習慣は生活習慣病の温床であり、QOLの悪化を招くことを身体で理解する事が重要である。

「命」の輝きを忘れない!「健康」は宝です!! 「病」を癒し、病院と縁を切る為のガイドブック

プロローグ「システムの迷宮」

生存の原理

プロローグ「システムの迷宮」

万物の霊長たれ

 宇宙は人知を超えた、壮大なスケールで存在し、この宇宙を成り立たせている、システムは完璧で寸部の狂いさえもないと思える。

 宇宙を構成する、あらゆる物質は、地球の生物を含め同じ元素を起源とする。宇宙を宇宙たらしめている力も、生物を生物たらしめている働きも、同一の法則から発している。人間もまたその法則から逃れては生存できない。

 しかし人間は、万物の霊長と呼ばれるまでの進化を果たした。一体何が他の生物との違いを生んだのか。二足歩行や、火の使用が考えられようが、最大の理由は「言葉」と「文字」の獲得が大きな差となったのではないだろうか。

 この二つの技術の獲得に依り、更なる脳の発達を促したと考えられる。それは完璧とも思える程の完成度を有していると云うのは奢り過ぎかもしれないが、人がもっと気高い精神性を獲得するならば、一歩神に近づくのではないだろうか。


命の在処(ありか)

 命にはそれぞれ、生存にふさわしい環境が存在する。つまり食性という固有の食体系を持ち、自然界の食物連鎖のバランスを保っていて、それを逸脱しては生存はできない。例えばコアラは、ユーカリの葉しか食べないと言われている。

 ところが人類は、その「旺盛な適応力」故に、本来の食性から逸脱し、あらゆる環境に適応し生き抜いてきた。赤道直下から、極寒の地に至るまで・・・。しかしそれは何万年の時を要して、肉体を適応させてきたのである。現代社会の変化は激しく、益々自然と乖離し、環境破壊は進み、人間破壊にも拍車がかかる。人工的に作り出した、自然界には存在しない化学物質は、数百万種に及ぶと言われている。

 こうした自然破壊は、自らを滅ぼす行為にも等しく、この数百年で人類はその進路を誤り、あらぬ方向に歩を進めているのではないだろうか。西洋文明は、その傲慢なるが故に、自然支配を試みたが、その企みは破れ、今その逆襲を受けているように思える。

 それは、命の拠り所を見失い、生存の原理を放棄してしまったかのような、振舞いに現れている。人類といえども、生きる為の原理原則である「食性」を無視した行いは、強制的に修正を余儀なくされる宿命を背負わされている。つまり、疫病や精神疾患などが蔓延する、すさんだ社会の到来である。これを避けるには、自然に従い「生存の原理」を遵守する以外に人類の安寧が訪れる事はないであろう。個人で気付きを得て、生活を改めようと試みる人々も少なからず存在するのだが、圧倒的多数は生活を変えようなどとは、露ほども感じていないし、変えなければ社会が行き詰まる事を理解していても、行動できない人が殆どである。
 
 完璧と思われた人類の生体システムの完成も、今少しの修正が必要であろう。それは言葉と文字、また科学技術の獲得で、脳の持つ優れた閃きや、直感力が失われてしまった事ではないだろうか。本来動物的な本能の部分と人間としての能力を開花させた部分とを、バランスよく働かせることで完璧な存在としての、能力を生かせるはずである。

 現代社会は、過去の天才や偉人によって成し遂げられた、業績があって発展し、便利な社会を我らは享受できている。様々な問題はあるが、時代は間違いなく進歩発展している。

 それは人類の飽くなき探求心によるものであろうが、平均的な人々の存在だけでは、これ程までに高度な技術や社会を構築する事は不可能であったと思う。大変有り難いことではあるが、その能力が一部の人間の手にある限り、人々は「システムの迷宮」と言う罠に囚われてしまうだろう。

 本来、人は誰もが優れた脳力を持って生まれてくる。誰もがその能力を育て育む環境さえ与えられれば、それぞれが優秀な人材になり得るのである。誰しもがその潜在能力を開花すれば、いや少なくとも今よりも、数パーセント多くの人々が能力を開く事が可能ならば、それが実現すれば世の中は劇的に変わらざるを得ないであろう。


理想社会構築は人間の使命

 人びとが「生存の原理」を正しく理解し、その原理によって生きようとする時、病や争いは無くなり、経済的な不安も、社会の秩序も回復し、人間のあるべき姿、つまり本来持っているはずの、それぞれの潜在能力が遺憾なく発揮されるであろう。

 人びとが嬉々として働き、その優れた能力が、あらゆる分野での更なる技術革新を生み、これまでの資本主義の経済システムとは異なる、社会システムへの構造改革が進み、この新しい優れた技術やテクノロジーは、特定の企業、個人、国家の占有ではなく、人類共有の財産となり、すべての人々がその恩恵を享受して、豊かな社会が営まれることだろう。

 マイクロソフト社の創設者であるビルゲイツ氏は、パソコンの基本ソフトの開発で巨万の富を築き世界一の資産家になった。

 一方ウインドーズとの国際基準争いに、米国の介入で敗れた、東京大学の名誉教授の坂村健氏は、人類に役立つ技術は「水」や「空気」と同じで人類の共有財産でなければならないと言って、誰でも自由に利用できる様にと、無償で基本ソフトを公開した。

 巨大な外圧に屈することなく開発を続け、「トロン」と言う基本ソフトはパソコン以外の、多くの家電、自動車、携帯電話などに利用され普及している。

 このように日本にも優れた人材と、技術がある。西と東の知恵の融合に実績のある日本が「生存の原理」の完全理解によって、新しい世界基準の先駆けとならねばならないと思う。それは全人類への貢献への道でもある。

 今、元気と自信を失いかけて見える日本人がこの目標を掲げ、国を挙げて取り組まねばならない課題ではないだろうか。





powered by HAIK 7.3.8
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. HAIK

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional