自然回帰の生き方
自然回帰の生き方
大気、水、食物、この命の糧が絶たれると最長で二か月。最短では数分で絶命する。かつての高度経済成長した時代には、多くの企業が汚染物質を垂れ流した結果、多くの健康被害を齎した。国民に丸見えの大気汚染や水質汚濁の公害は、社会の圧力によって企業努力を余儀なくされた結果、環境破壊が解消されたのである。
しかし、社会の公器としての徳を積む企業理念が広まったとは言い難い。三方良しの理念を失った戦後の大企業の多くは、大気と水質の汚染が極まり、各地で健康被害が相次ぎ、圧力に抗しきれず仕方なく、莫大な資本を投下し、環境浄化を行わねばなら無かったという背景がある。
なぜそこまで確信をもって断言できるのか?。それは当時、大気の汚染も水質の汚染も、目に見える形で視覚化され、誰の目にも明らかな汚染が拡がっていた結果があって、健康被害が拡散されていたのである。明らかな環境汚染が、健康被害の原因である事は逃れようが無く、企業側の大敗北であった事は疑いようがない。
河川も大気も自浄作用があり、ある程度の汚染物質ならば、自然が浄化してくれるのであるが。それを上回る汚染物質を、止めどなく環境に廃棄していたのである。
大気と河川の汚染は、その様にして浄化されてきたが、今尚、汚染が止めどなく拡散されていて、益々ひどく歯止がきいていないのが、命を紡ぐ最後の砦である「食物」の汚染である。流石に一口食すだけで、著しい健康被害が出ない様な規制は行われているが、その様な汚染食を常食すれば、数週間から数か月で体調不良を起こしかねないのである。
喜ぶべきか悲しむべきか、人間にも優れた浄化作用が整っており、現れる不調もやがて雲散霧消するので、食品汚染の結果である事を覆い隠してしまう事が起きている。そんな不調が度々繰り返されれば、賢い人ならば食の間違いである事に気付くのであろうが、それでも山を越えれば、回復して元気を取り戻すことで忘れてしまい、元の生活を繰り返すのである。
しかし、優れた浄化作用も、時とともに臨界期を迎えて、その能力を減衰させ臓器の損傷が修復不能となり、生活習慣病となって途端の苦しみを味わう事となる。
私達人類は、他の生物とは明らかな違いを以って、この世で生かされている存在ではあるけれども、人類も又「自然の賜物」である事に何らの違いはないのである。であるならば驕り高ぶらず、自然の摂理に従って生きて行くより他に、方法は無いのではあるまいか。
生命あるものはことごとく、その食性に従って食物を選択しなければならない宿命を持っている。少なくとも人類は、自然界には存在しない、自らが産み出した化学物質を体内に摂り入れては、健康を維持する事は出来ない。その様な物質を処理する能力を持ち合わせていないからだ。不自然な物質を体内に蓄積するほどに、それは 体調を崩す原因となり、老化を促進しながら自らの命を縮める行為と断ぜざるを得ない。

