「命」の輝きを忘れない!「健康」は宝です!! 「病」を癒し、病院と縁を切る為のガイドブック

意識と無意識

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第二章「環境に支配される生命」

3: 意識と無意識

自由意思

 人間は無意識の支配を受けて、生命を維持している。それが生存の原理で微生物から高等生物まで例外はない。しかし人は自由意志を獲得し、その意識が一人歩きを始め、意識だけが自分だと勘違いをしている。

 その結果受けた教育や社会常識に惑わされ、真実を見誤り迷宮の虜となる。

 人間の肉体は、完璧にデザインされている様にも思える。バランスよく鍛え上げられた、アスリートの体が美しく感じるのは、そのせいではないだろうか。40億年もの尊い時を過ごしデザインされた肉体が醜いわけがない。

 その肉体を維持管理するソフトが意識と、無意識である。心に乱れが生ずれば、肉体がそれを修正するようにプログラムされていても不思議ではない。それこそが自然治癒力のシステムなのである。

 様々な要因で身体に異常が生じると、体はシグナルを出す。発熱/痛み/食欲不振/倦怠感/アレルギー/胃炎/肝炎/高血圧/心臓病などと次第に深刻な状況へと、体は導かれて行く事になるだろう。

 軽微な段階で、その過ちに気づく事は、あまり多くはないだろう。何十年もの間、病苦と戦った者でさえ、最後まで現代医療を信じ、医者への信頼が揺らぐことはない。というよりもほかに頼むべきものがないので、医者という権威にすがるしかないのが本音であろう。

 早急に代替医療、民間療法などの市民権の復活が望まれる。それにしてもそれを許さない権力、政治力を医師会が持っている事は、国民の医療の安全を担保できない。

 それはともかくとして、先に述べた症状は身体からのメッセージなのだが、一般的な理解では病気は、原因不明で突然、または偶然もたらされるのだから、防ぎようが無いとさえ思っている人も多いのではないだろうか。

 この世の出来事は必ず因果律が存在する。なんの前触れもなく、突然や偶然で癌などの病を患う事など有り得ないのは当然なのだが、医療現場でさえも混乱し「突然変異によるもの」などという解釈を未だにしているのである。

 百歩譲ってそれが事実だとしても、突然変異を引き起こす環境を作り出しているのは人間なのである。突然変異の遺伝子が突然暴れだすと言われれば、私たちには防ぎようがなく、医者に任せるしか選択肢は無くなる。

 外科療法で切り取り、放射線療法で焼き、化学療法で薬漬けになるしかないと考えるのは、治療をする側も受ける側も仕方がない事なのかもしれない。

 しかし「病氣」というのは、無意識という生存の原理から乖離してしまった、「心」の暴走を止めるシステムなのだ。そして病んでいるのは肉体ではなく、「顕在意識という心が病んでいる姿なのだ」と知らねばならない。
 
 不快な症状は病から身を守るためのシステムが働いているのであり、言葉を持たない無意識からのメッセージなのである。決して肉体を滅ぼすために病気が発症するのではない。滅びに至るとすれば、その意味を汲み取れない、あなた自身が選んだ道なのだ。


生存の原理というルール

 さて、意識とは日々行われている、心の活動であることは理解している。しかし無意識というのは奥が深く少々難解である。そこで生存の原理という視点から捉えてみたい。

 人間の生命を維持する整体システムは、免疫系、神経系、内分泌系があるが、これらは当然、補完し合いながら働いている。

 これらの生体システムは、意識とは関わりなく無意識の支配を受けて、心臓が昼夜兼行で動き、抗原が侵入すれば免疫機能が発動され、生体活動に伴い神経伝達物質やホルモン、消化液が分泌されて健康な日常生活が営まれている。

 これらの働きを司る自律神経を、無意識がコントロールしているという事になるのだが、完全に独立しているかというとそうでもなく、心理的影響を受けて体調を狂わすこともある。

 また、高度に訓練を積めば、心拍数を減少させたり、完全に止めることも可能だという。つまり高い意識レベルに到達できれば、無意識の世界も制御できるという事であるらしい。


意識こそエネルギーの根源である

 この無意識の働きは脳の指令によるものなのだろうか。確かに人類だけがもつ脳の機能は存在するし、下等な生物には脳がないものもある。もちろん細胞に脳は存在しない。

 コンピューターに例えれば、ソフトがなければハードは働けない。またいかに優れたソフトがあったとしても、電源を失えば何も機能を果たせない。

 脳はハードで有り、知識がソフトならば、電源はなんに例えられるのであろうか。そう、もうお解りだろう。無意識こそが電源と言える。

 アインシュタインは物質がエネルギーの塊であることを、E=mc2 の公式で証明してみせた。

 しかし生物は誕生以来、数十億年もの遥か昔から物質を合成、分解することで、その生体内で穏やかに化学エネルギーを取り出している。

 脳を持たない生物が、明確な意志を持ち生態系を構成し、各々の命の活動を営んでいることは明らかだ。

 たとえば人は摂食行動で得られるエネルギーによって、肉体を維持し活動していて、それが絶たれれば生命を失う。

 しかし生命活動には、もう一つのエネルギーの流れが存在していて、無意識の領域から肉体に流入してくる根源の気の流れであり、このエネルギーが心の活動を司ると言って良いだろう。

 たとえば植物を育てるとき、愛情をかけて栽培すると育ちが良くなったり、音楽を流しながら育てると、果実の糖度が増したりする。

 またポリグラフ(嘘発見器)の研究から、植物が人間の心理に反応してその生体電流に変化を起こすこともよく知られている事である。

 別の章でも述べたが、ヘッケルの提唱した、

「全ての生物は複雑かつ、完全な形態へと向かう内的能力を持つと仮定され、その生命力は生物の統合性を生み、その秩序維持と、さらに進んだ秩序を確立する流動体によって確立される」

としている。

 ヘッケルが生命力と流動体と言い表しているものは、私流に解釈すれば、無意識と集合無意識につながる概念であろうと思われる。無意識とは生命を支えるエネルギーの根源であり、宇宙を支配する根源のエネルギーでもある。

 そして人類は自由意思の獲得によって、その進歩の方向に僅かな錯誤が生じてしまっている。教育や社会のあり方が脳の正しい使い方をミスリードしてしまったのだろう。

 多くの人々は無意識が求める生き方との乖離に陥って、さ迷い苦しみを強いられている。ヘッケルの言う、更に進んだ秩序を確立するためには、意識と無意識のあいだに、太いパイプを作る必要があるだろう。


意識の統合

 生命生存の原理原則という秩序から逸脱して、生命発展の道筋を誤り、あらぬ方向へと人類は歩を進めてしまった。

 ルールを無視した弊害は、先進国を中心とした日本や欧米に家族制度の崩壊、親子断絶、少年犯罪の急増、精神の荒廃、義理人情の喪失、環境破壊、文明病、慢性病の蔓延。そして途上国にあっては、貧困、飢餓、感染症、民族紛争など、解決の糸口は見えない。

 古き良き文化で育まれた、日本人の精神性の高さは、江戸末期から昭和初期に日本で生活した欧米人の口で語られてきた。

関東大震災を経験した仏駐日大使ポール・クローデル

 1923年(大正12年)9月1日 関東大震災を経験した仏駐日大使ポール・クローデルは

「日本人は人知を超えた、大きな力に対する畏敬の念と、そこから生まれる謙虚さがある」と評した。

 更に、彼は1943年(昭和18年)大東和戦争の最中

「決して滅んではならないと願う民族がある。それは日本民族である。あれ程古い文明を今に伝えている民族は他にはない。近代における目覚しい発展も不思議ではない。
彼らは貧しい、しかし高貴である」と語っている。

幕末砲艦外交で開国を迫ったマシュー・ペリー

ペリーの日記より

日本という国は、非常に成熟していて、圧倒的に組織化されている。また非常に知的で、好奇心が強く、戦闘的で強い。



 幕末に砲艦外交により不平等条約を締結させられた。それ以後、富国強兵で国力を蓄え、日清、日露戦争に勝利し、世界に衝撃を与えた。そう言う日本を畏怖した米国は、様々な理由をつけ経済制裁で日本を戦争に駆り立てる策略で 大 東亜戦争に勝利した。

 戦後のGHQの政策で、精神性を崩壊せしめる教育が押し付けられ、巧みな誘導により、反日思想が官僚、政治家、経済人の人々に蔓延し、国力を徐々に削られてきた。

 高貴とまで評価された精神性は、地に砕け散った様にも思えるが何とか踏みとどまっている状態だろう。これ以上の放置は崩壊につながってもおかしくない。

 日本人が目指す未来は、高貴で謙虚と称えられた、民族性、精神性にヒントがある。伝統的な食文化を基本にした、社会体制の中で培われ、育まれてきた独特の文化である。

 数千年の歴史の中で醸成され、醸し出される集合無意識は、たかだか数十年の小手先の工作などによって、失われるものでは無いと信じたい。

 その証左が先の東日本大震災の、被災者の振る舞いの数々である。世界が驚嘆したあの事実は、日本人の魂を奮い立たせてくれた。

 南三陸町女性職員の遠藤未希さんは最後の最後まで避難誘導の放送を続けて亡くなられた、
勇気ある女性である。他にも消防士の方など多くの人が殉職された。

 そして自衛隊の方々の、献身的な働きを忘れる事は出来ない。  
また、先の大戦で戦死された英霊の方々は、現代を生きる我々の為に、敵の進撃を防ぎ、国土国民を守るため尊い「生命」を捧げてくださった。
 
 この大地に染み渡る先人の想いは、集合無意識に深く刻み込まれて日本人の心に浸透しているはずである。一人一人が、公のために何をなすべきかを考え生きねばならない。


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