エピローグ「希望」
生存の原理
エピローグ「希望」
この世は三次元世界だと表現される。しかし、宇宙はもっと多くの次元から、構成されていると考えられている。三次元が光の世界だとするならば、更に高 波動の人間の五感に感知されない、異次元の拡がりを持つのが、宇宙の真の姿だと言ってよいだろう。
小宇宙と表現される、私達の生体内もまた、異次元の空間である。そこでは生命四十億年の進化の歴史が、僅か数ヵ月の期間で再現されている。また、常温常圧の環境下の生体内で、元素転換が行われている可能性が指摘されている。おそらくは真実であろう。
私たちを構成する細胞は、それぞれが独立する生命体である。彼らは生物の本能で生きているので、人間の知覚できない、高次元の波動を感知し、その情報を受信している。だから細胞が各々の役割をキッチリとこなし、高次元からエネルギーを受け取り、休み無く私達の体を守っている。
中村天風は『病で苦しくとも、眠っている時は、それを忘れているだろう。心が何ものにも囚われない時、宇宙根源の氣と繋がり、その力が体に充満し、病を癒すんだ。
目覚めている時でも病気に心を奪われず、『積極の心で生きよ』と説く。
出典:中村天風著「盛大な人生」
人は苦しい時、モルヒネの何倍もあるとされる程の、脳内麻薬を分泌する。ランニングハイという現象で有名なので、ご存知の方も多いだろう。人間が死亡する際、安らかな表情になるのもこの結果だと云う。
生死をかけた厳しい修行の末に、悟りを開くのは、この脳内麻薬の出現による事が大きいのではないだろうか。苦しさが消え、何ものにも囚われ無い心の状態が作られ、意識の拡大が生じ覚醒へ導かれるのだろう。人は苦しい時にこそ飛躍できる所以ではないだろうか。
しかし、化学療法や放射線療法を受けると、身体の正常な機能が失われ、脳内麻薬は分泌されないと云う。体が汚染された結果の病である。汚染に拍車をかける治療が有効に機能するはずがない。
人間は生まれてきた以上、その秩序に従って生きねばならない。人の作ったルールではなく、自然の秩序である。それは天風の説く、「尊く、清く、強く、正しく」と言う積極の心とも通じる。
1: 教育とは
私達の受けてきた西洋式の教育は、性 悪説に則った理念から発したものだと云う。つまり人間の本質は「悪」であるから、管理、訓練、教育しなければならないと言うのである。
しかし二千五百年前にソクラテスは、「人間の内面には知恵が宿っている。教育とはその知恵を、表面に導いてやる事だ」と説いている。
江戸末期まで日本で行われた教育は、このソクラテスの性善説に近かったのではないだろうか。明治以降の西洋式の教育で育てられ、作られた社会は物質のみを重視した価値観を生み出し、戦後その傾向は歯止めを失って、物質経済優先の社会を追求して来た様に思う。
今を、即物的に生きようとする思想は、国家観を喪失せしめ、未来に生まれ来る子孫への責任放棄であり、世界に誇れる日本の文化を、これまで営々と築いて来られた先祖への裏切りでもある。
白人優先の世界観が支配する時代背景にあがらう事で、国を護り近代化を計って、有色人種で 唯一、白人の侵略を受ける事なく、明治、大正、昭和初期と踏ん張ったが、昭和二十年、遂に米国の軍門に下った。
これによって日本の根幹が破壊され、二度と逆らう事ができない様な、工作が今も継続されている。特に教育制度が蹂躙され、その教育を受けた官僚、政治家、企業人によって、この国は運営され、マスコミの情報操作に依り、国民は騙され続けてきた。
私たちの受けてきた教育や、常識は実は曖昧で、その実態は戦勝国のプロパガンダや洗脳が組み込まれている。マスメディアと一体となって行われる為に、易々と世論が意図した方向に導かれてしまう。
しかし今、インターネットの普及によって、若い世代を中心にこのコントロールが効き目を失いつつある。教育界の闇は深刻だが、未来を託すことのできる、優秀な若者も多くいると聞く。一刻も早く教育改革が進み、憂いのない国家の実現が進む事を、願わずにはいられない。
2: 脳の不思議
私たちの行動パターンは、脳の刷り込みにより記憶させられた結果が大きいとされる。それは例えば、虐待を受けて育つと、自分の子供にも虐待をしてしまうと云う行動パターンである。
ある動物実験によると、生後すぐ他の仲間の猿から隔離されて、一匹だけで成長した猿は、自閉的で、自己破壊的行動を取ったり凶暴性を示し、猿社会に適応できず、子育てを放棄してしまうという。人間社会に起きている現実そのものである。今まさに破壊の連鎖が、始まろうとしているのだろうか。
滅びがあって、新しい種が誕生してきた歴史の真実は深い。恐竜の絶滅があって哺乳類が台頭し、人類の出現に至ったように、人類もまた新しい種のために滅ぶ運命なのか。はたまた、脳を最大限に活かしきることで、更なる人類の発展に希望を持つことができるのか。
時代はまさしく、人工知能(AI)が発展の初期段階にあり、人類が人工知能によって支配される、SF小説の現実味を強く感じさせる。自ら学ぶ人工知能の加速度に人類は勝利するのだろうか。
高度な機能を有し未開の部分も多い、人類の脳には更なる成長の可能性も在り、何より人には魂が宿っている。それが生命の証でもある。AIにそれが宿ることなど有り得るのだろうか。世界のビックデータを集積し、より良い選択ができても、最後に物理的な力を与えるのは、人間にしかできないのではないか。
臨界期における幼児の脳は、与えられる情報の質と量によって、AIに匹敵する能力を持つことも可能である。子供の優秀な脳は、学ぶ事への強い欲求を持っている。その為に必要なシステムを備えて、情報を受け取り学びたがっているのだ。
3: 日本人の脳の特異性
母音文化が育む日本人の特質
聴覚障害の研究に端を発し、日本人の脳の特異性を発見した角田忠信氏は、その著書「日本人の脳」で、母音中心の言語体系を持つのは、ポリネシア諸国と日本だけに限られ、他の多くの子音文化圏との、脳の音を処理するメカニズムの違いを明らかにしている。
母音中心の日本語で育つと、日本人特有の脳が育まれるという。ポリネシア諸国では多国籍化が進み、ポリネシア語は失われつつあるので、その言語体系を維持するのは日本だけだと云う。
その特徴は母音の一語一語に意味を持たせ、それぞれが、母音で終わる言語は、自然音の全てを「言語 野」で処理することにつながり、風のそよぎ、水のせせらぎ、小鳥のさえずり、虫の音などに心を通わす、精神文化を育んでいる。
それは時に、論理の曖昧さを生み、人情を理性に優先させ、争いを好まず、「和」を尊しとする情緒的な国民性となり、他国との違いを際立たせている。
- 【外国人であっても、日本人脳になれる!!】
- 幼児期を日本で過ごし日本語に親しんでいれば、その後母国に帰っても日本人脳が維持される。
角田忠信著:「日本人の脳」/大修館書店
というのである。
この事は、諸外国から、あらぬ誤解を生む、大きな要因でもあるが、世界に発信できる、誇るべき文化を育んできた。
明治以降の近代化は百五十年を経て、物質的な豊かさをもたらしてはくれたが、それ以上に失われたものの大きさを思うと誠に残念である。
忘れ去り、置き去りにされた、誇りある「精神文化」無き社会は、目標を失い、官僚主義が蔓延し社会の発展を阻み、敗戦の頸木(くびき)となった。米国の占領政策により一層、日本人の精神の荒廃が進んだかにも見えるが、東日本大震災での被災された方々の振る舞いは、戦後七十年の洗脳を以ってしても、揺るがぬ強固さを感じさせてくれた。
角田忠信氏は、「日本人の脳の特異性に目覚め、借り物ではない自分の頭で考え抜く時、初めて日本人の独創性が発揮され、その「所産」は世界の文化に貢献できることを信じたい」と、締め 括っておられる。
私達、日本人は他のどの国とも違う、独創的で優れた文化を育んできた。しかし何故に日本人の精神性と、歴史を否定する教育がいつまでも続き、それを肯定するような発言が攻撃されねばならないのか。
若者が目標を失い、日本人としての誇りを持つことを、許さない教育が行われている現実は、独立国家の姿ではない。
敗戦後、米国が残したエピゴーネンの、凋落傾向にやっと拍車がかかり、漸く独立国家としての、歩みが取れる体制が整いつつあるように思うが、今こそ市井の人々が声を上げ、国を動かす大きなうねりを作らねばならない。
それこそが真の民主主義である。真の民主国家として世界をリードできる資格を持つには「高貴な精神性」が必要となる。百年前に高貴とまで称えられた、日本人の原点を思い 起こそうではないか。未来に生きる子供たちのために、人類の為に・・・・
4: パンドラの残したもの
人間が神の許しを得ずに、天上のオリンポスの火を、地上に降ろした罪により、ゼウスは美しいが「無知と偽りの性を持つパンドラに、すべての災いと希望を入れた壷を遣わした」
神からの贈り物を受け取ってはならないと、教えられていた人間であったが、その美しさ故にパンドラを嫁にしてしまい、パンドラは好奇心から壷の蓋を開け放ってしまった。
パンドラの開けた壷から、この世にもたらされた「災い」の数々。そして慌てて閉ざされた壷の底に残されたのは「希望」であった。これは単なるギリシャの物語である。しかし神話であるからこそ、そこに真実が表現されていないだろうか。
禍と云う「闇」が「光」の世界に放たれ、「希望」と云う「光」が「闇」の中に取り残されてしまったのは、現代社会の闇の部分を考えると、鋭く真理を突いているのだと納得させられる。そして陰と陽が引き合い、反発し合うという宇宙根源の力とも符合する。
私達は「光」という物質中心の世界観しか学んでいない。しかしそれとは裏腹に、更に大きな「暗在系」という闇の世界が広がっているという事実。
光という「明在系」の物質世界は、暗在系の投影でしか無い。人類の持つ心の闇が、光の世界である現実社会に反映されるのは、必然であると言えるのかもしれない。
二十世紀が戦争の世紀であった事以上に、二十一世紀の始まりは、貧困、テロ、紛争、犯罪、汚染、病気などの闇が支配する破壊に満ちている。であればこそ希望という「光」に満たされる日も、遠くないのではとも思える。
これからは、光は闇によって一層輝くという真理。つまり非物質の見えない世界観を学ばなくてはならない。
宇宙は闇に包まれその闇の中に、地球はきらめき浮かんでいる。その闇は何も存在しない真空では無く、希望という輝きに満ちた、エネルギーの海なのである。