「命」の輝きを忘れない!「健康」は宝です!! 「病」を癒し、病院と縁を切る為のガイドブック

新血液理論

第二章「環境に支配される生命」

2: 新血液理論

 森下敬一医博はその著書「血球の起源」で

「ギリシャ時代以来の哲学的必然であった、生命の『自然発生思想』はパスツール/フィルヒョウ等によって否定され、『細胞は細胞から』という生命永劫の思想を定着させた。
 その矛盾は『生命の自然発生』を否定しながら、『生命の起源』を求め、物質進化の必然的産物としての、生命誕生を容認し、また『生命は生命から』と言う根拠のない非科学的定理を説き、一方で生命の進化を歓迎するというような、唖然たる迷妄を見せているのは醜態の極みである」

と述べられている。

 更に氏は、消化とは単に栄養物の吸収では無く、食物の有機物が消化酵素、消化液の作用を受け、生命へと発展する「生命誕生」の姿であると喝破されている。

骨髄造血の矛盾

 現代医学の基礎を成す、生物学の基礎理論では、生命を支える血液の造血場所を、次のように定めている。

 血液を作ることを造血と言うが、造血の部位は年齢により変化する。胎生初期は、卵黄嚢(血島)、中期には脾臓・肝臓、末期になって骨髄骨での造血が盛んになる。思春期以前は大腿骨・脛骨の様な長官骨、成人になると頭蓋骨・胸骨・椎骨・肋骨・骨盤骨の短い骨随に限られてくる。 (ブリタニカ百科事典)

 笑ってしまいたくなる程の、無定見と言わざるを得ない。本当にこんな事を医学者は学んでいるのだろうか。信じ難い茶番と素人の私などは思ってしまう。

 当然、森下氏 はこんな笑い話のような、命の基本である造血場所が、次々に変化するのはおかしいとの疑問から、蛙の血液を観察研究し、腸管造血を提唱し、「血球の起源」を発表。

 食が血となり、血が組織細胞に分化融合してゆくことを明らかにしている。

 40億年の生命進化の歴史に於ける、約36億年を海の中で過ごしている。その内27億年は単細胞生物の時代、多細胞生物が出現してから、4~6億年かけて無脊椎動物が目に見える大きさまで成長し、その後1億4千万年かけて、体内に骨を作り川へと進出、上陸を果たすことになる。

 骨を体内に得たことで、血液の恒常性を維持する能力が強化され、生命誕生の母なる海を体内に宿すことが可能となった。

 33億年もの永きにわたり骨のない時代を過ごし、後発の骨髄に大切な造血機能が配置されるのは、不自然すぎるように思うのだがいかがであろうか。


腸管造血の合理性

真実は腸管造血にあり

 動物の組織細胞が正常な活動を営む為には、酸素、酵素、有機栄養物、ホルモン、ビタミン、ミネラルなど必要であるが、酸素以外は全て腸から吸収されるか、それを材料に合成されたものである。

 化学進化から「モネラ」を生じ、生命の自然発生をもたらしたと、ヘッケルが提唱したように、動物の生体に於ける物質発展の姿は、いわば腸管という外界の環境の中に有機物と無機物が消化液と混ざり合いスープ状の「食物モネラ」となり、おびただしい数の腸内細菌を生じせしめる物質から生命へという流れの再現に他ならず、今は否定され細々と息づいているが、真実は「腸管造血」こそが、生命誕生と進化の歴史とも矛盾の無い、生命の本質を解き明かす理論であり、生命誕生が今も行われている、感動の現場なのである。

 フィルヒョウの細胞観を基礎とする西洋医学の矛盾を正さない限り、その間違った理論の上に成り立っている医療が崩壊し、現場が混乱を極めるのは当然である。

 口から始まり、肛門で終わる消化器官は一本の閉鎖的な内と外との中間的な環境と言える。体内でもあり体外でもある特殊な環境は物質から「生命」を育む神秘的な生態系を形作り、始源地球に生命をもたらした「生命誕生」の歴史が繰り返されているのが消化器官の真の姿である。

真の栄養学

 また現代の栄養学は生体内の環境を無視した「食品分析学」でしか無い。つまり摂取される前の食品の分析をしているだけである。

 本来は摂取した食品が、体内でどう変化発展しているかを、分析研究しなければ意味が無い。真の栄養学は「栄養生理学」でなければならないと森下氏は指摘する。

今尚続く生命進化の鼓動

 摂り入れられた食物は、消化液・酵素・腸内細菌などの作用を受けて「食物モネラ」へと発展する。つまり有機物が、生きている物質へと化学進化をしたのである。

 この「食物モネラ」は、腸絨毛細胞に吸収される。アメーバーに摂り込まれる餌をイメージしたほうが分かりやすいだろう。そして細胞そのものとなって組織の奥の方へ導かれてゆく。

 すると、その細胞内では細胞組織が変化をして、赤血球が発生してくる。この細胞は赤血球々母細胞と呼ばれ、新生した赤血球を毛細血管の中に放出する。また赤血球々母細胞が幾つかつながって、毛細血管そのものに成る事もあるという。

 赤血球から白血球が新生され、白血球は赤血球と共に、或いはそれぞれが単独で体細胞へと分化発展していく事になる。
 この物質から生命への流れが、40億年の生命の歴史でもあり、脈々と息づく生命の「生存の原理」にほかならない。

細胞(生命)が生まれ、そして無に帰る 生命進化の現場

  • [check]生理的状態(物質進化の営み)
    • 食物モネラ(生きている物質)絨毛細胞赤血球白血球体細胞
  • [check]非生理的状態(可逆的変化)
    • 体細胞白血球/赤血球ウィルス/リケッチア細胞モネラ(生きている物質)

      ※細胞モネラ(生きている物質)の詳細


動物の炭酸固定

 植物は光合成によって、無機物から有機物を合成し自らを栄養する。
そして動物は、植物の生産した有機物を、直接、間接に摂り入れて、これを栄養する。

 動物の生体における、生化学的変化は広義において、植物の葉緑素が営む光合成と同様の変化が、その体内において起こっている姿ではないのか。

 葉緑素と血色素は構造が同じで、中心の金属元素が鉄(Fe)であるか、マグネシウム(Mg)であるかの違いだけである。Mgを中心にもつ葉緑素(クロロフィル)は水、炭酸ガス、太陽光とで光合成を行い有機物を合成する。植物の生体内で化学進化の第一段階が展開されていると言える。

 一方で血色素(ヘモグロビン)は酸素や栄養素を運搬するだけだとされている。それとて重要な働きではあるが、より高等生物の生体において、ほぼ同じ構造を持つ血色素が、そのような単純な働きだけというのは納得し難いのである。

 葉緑素が無機物から有機物を合成するという、生物界を担う重要な機能を持つが如くに、血色素は血球が体細胞へと分化融合するという、生命発展の極めて重要な役割を担っているとしても、不自然では無いのではないだろうか。

 また森下氏は「葉緑素と生命」の中で、

 生体で営まれる発酵と呼吸は有機物の「酸化分解」の姿である。それぞれが独立して成されるのではなく、連続して起こりチームプレーを営んでいる。しかしこの反応はいつでも逆転し「還元合成的」な反応系に切り替えられる。
 
 例えば水を酸化分解して水素を与え、TCA回路の還元圧を高めれば、回路が逆転し始める。つまりTCA回路の脱水素、脱炭酸の反応は各々水素と炭酸ガスの取り入れに変換され、より複雑な有機炭素化合物が作られる」

と言うのである。つまり動物の生体で、炭酸固定が行われている可能性を示している。身近な例で例えるならば、水を電気分解する事で水素と酸素を得ることができるが、水素と酸素を反応させて電気を生じさせることに似ている。

 この事は、水だけで生命を維持している(不食の人)事例が世界各地で報告されているが、動物の生体で炭酸固定が行われている証とも言えるのではないか。日本においても青汁だけの僅かな摂取カロリーで体重の増加や健康を維持している人物も存在する。

 資源生命が誕生してから、30億年という途方も無い永い時を、その後の進化の可能性と、それに役立つ機能を獲得しながら、単細胞生物は進化してきたはずである。
 
 その永い進化のプロセスの中で、独立栄養生物と、従属栄養生物とに大きく分かれている。従属栄養生物はその環境にある有機物を餌として摂取し、炭酸ガスとアルコールなどに分解してエネルギーを得る。

 しかし環境に有機物が不足してくると、このシステムが逆転し、炭酸ガスから、有機物を合成する、独立栄養生物としての機能も備えていたと森下氏は指摘する。

 微生物の環境に適応する能力は想像を絶するものがある。抗生物質を用いて細菌を駆逐する試みは、耐性菌の出現で人間に勝ち目はなさそうである。

超免疫獲得】 こそが次なるパンデミックへの備え

 千変万化する生命の営みはつかみどころが無く、あらゆる環境に適応して生存を図ろうと試みる。目に見えないミクロの世界の現象であるが故に、人がその実態を把握するのに困難を極めるのは致し方がないであろう。

 科学の目でミクロ世界を垣間見ることはできるが、科学の目が入った途端に生理的状況から、非生理的状況に変化してしまうと云う現象が起きる。つまり生理的現象を観察することができないのである。

 非生理的状況を生理的現象であると見誤り、それが正義であるかのような学問の構築がなされているから、間違った解釈で病気治療が行われてしまう。その上、命を顧みぬ経済優先の医療制度もまかり通っている闇が存在するのは厳然たる事実である。

 そんな中、私たちが自身や家族を守るには、医学や制度の権威に頼るのではなく自らが正しい知識を得て理論武装をするしかないのである。

 敵対する事ではなく「生存の原理」を活かして菌などに負けない身体造りと、共存できる環境づくりが一番の対策なのだが、狂牛病、新型肺炎、鳥インフルエンザ、昨今ではコロナウィルスなどに社会は戦々恐々である。

 共存できる環境とは人間本来の食性、つまり未精白穀物を中心に据え、季節の野菜、海藻、小魚貝類と発酵食品を副食とした食生活を組み立てることに尽きる。これを生存の原理という。

 生存の原理に裏打ちされた人間本来の「食性」に従った正しい食生活を行えば、人は瞬く間に「超免疫」を獲得することができる。これを獲得すれば一点の曇りもない真の健康体となろう。そして老化の抑制も可能となる。

 マスコミによって、バナナの健康効果やトマトのリコピンが有効などと報じられれば、食品スーパーからそれらが姿を消す現象が少なからず起きている。この様に人々は健康に深い関心を示すのだが、あまりにも「魔法の媚薬」を求めて右往左往しているとしか思えないのである。
 
 どんなに強力な感染症であろうと、自然が相手ならば「生存の原理」で対処すれば何も恐れる必要などないのである。

ウィルスへの恐怖を煽り【大儲けした製薬会社と医療利権】

 今回の三年続くパンデミック騒動で、眠らされている日本国民も流石におかしいと気づきを得た人々が、沢山現れてしまったと言わざるを得ない。世界の人々の多くはいち早く気づき、ノーマスク、ノーワクチンを高らかに謳いあげた。

 一方で世界の情報から隔絶されている日本では、従順な国民性を逆手に取り、国とマスメディアが結託し、未だにワクチン接種を推し進めている。しかしここまで実態とかけ離れたコロナ報道と、ワクチン推奨の流れは、人間の尊厳と自由意志を冒涜するに等しく、決して許されるものではない。

 強引にコロナの恐怖を煽り、怖いならワクチンを打てと迫った強権的な手法は、もはや民主国家ではなく、全体主義国家への変貌を意図したメッセージとも受け取られかねない。

 「戦前」の一部の政治家と新聞各紙が、開戦やむなしの世論構築を行い大衆を洗脳し、破局への道を突き進んだ過去とシンクロする。

 第二次世界大戦という「戦争ビジネス」の枠組みに否応なしに組み込まれていった側面と、日清日露に勝利し、第一次世界大戦で戦勝国側にいた日本の成り上がりぶりが気に入らない欧米列強の、日本の解体計画に飲み込まれてしまったという現実を我々は忘れてはならい。

 「大 東亜戦争」はアジアの植民地を開放するという大義名分を掲げての、欧米列強との熾烈な戦いであったが、その戦いの果てに日本は敗れた。同じ有色人種が白人と互角以上の戦いをしたという事実は、有色人種の国家に大いなる勇気を与えた。

 その結果、今や植民地はすべて独立を果たしたが、皮肉なことに敗れた日本は、世界に富を供給する「経済植民地」としての役割を与えられてしか生き延びる術はなかった。

 今もその役割は維持され続けているどころか、益々強化され勤勉で従順なるが故に体制の維持が確固たるものに構造改革されてしまっている。世界中にあった植民地から得られる富と同等の価値が日本にあるようだ。

 今後この流れは加速度を増して行くことだろう。何故なら、多くの国民が飼いならされた羊の様に「無知蒙昧」で自分の意志で動けなくなってしまっているからである。「窮鼠猫をかむ」の例えのように、ネズミや羊でもここぞという時は相手に向かって突進して活路を見出そうとする。その気概さえ失ってしまったとは思わないが、あまり悠長に構えている猶予はない。目覚めよ大和魂、目覚めよヤマト民族、今覚醒の時。




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