第三章 生命維持システム
生存の原理
第三章「生命維持システム」
1: 生物の進化 を 促し.又 亡ぼす「食性」という縛り
人体に必要な栄養素は、かつて四十六種類と云われていた。現在は未発見の栄養素も含めれば、数千以上もあるのではないかと考えられているが、何れにせよ、その全てを把握管理するのは不可能である。またその必要もなく、私達がすべきことは、「食性」に合った適切な食材を選ぶだけで良い。人の食性に合致した優れた食材であれば、微生物の力も借りて必要な栄養素は全て体内で合成されてしまうからだ。それに間違った食による化学物質の蓄積も避けられる。
その食物とは、人類と共に進化をしてきた禾本科植物、今はこの禾本科植物という表現は使用しないようだが、つまりイネ科の穀物である。生物は各々の環境に応じた食物を摂取し、環境に適応し進化してきた。そして環境が移りかわると、餌としてきた食物もそれに応じて変化して、滅ぶ生物種が出てきたり、その環境に適応して新しい種へと進化する事の繰り返しが、生命進化の歴史である。
巨大隕石の衝突や、気候変動が繰り返され、何度も大量絶滅を繰り返し、その中で、淘汰と選択が行われ、現在の環境に適応して、優秀な遺伝子を持った様々な生物種が共存する地球環境を形成している。
人類は、類人猿が森や樹上での生活様式を捨て、その一部が草原へと進出し、危険を一早く察知できる二足歩行の有利さ故に、手の発達を促し、人類としての歩みを始めたと言われている。最も大きな変化の要因は、食物の変化であったであろう。
欧米でのマクロビオティックの活動が認められ、日本人として初めて米国国立歴史博物館「スミソニアン」に、久司道夫氏のマクロビの代表的な書物や資料が展示されている。
その久司道夫氏は「食物とは、進化を促し、一つの種が別の種に代わる為の手段である。」と説いている。なるほど鋭い指摘である。戦後の日本は様々な大改革が行われて、中でも食の改造は、文明の破壊をも齎しかねない。小麦肉食中心に変えさせられている最中にあるが、「日本にはもう文化が育たない。」と指摘する識者も存在する。それは伝統的な食文化を捨て去った結果であることは疑いようもない。
さて、草原に生活の場を移した猿人は、動物を狩り、植物の葉や根、果実などを食用にして生活をしていた。七百万年ほど前、ちょうど時期を同じくして、人類の歩みと共に登場してきた植物の最終進化型が、禾本科植物と云うイネ科の穀物である。人類にとって最良の食料である穀物は、貯蔵性に優れ、収穫量も多く、栄養価の優れた食物であった。
二足歩行を行い、手も器用に使える人類がこの優れた食材を利用しない手は無く、おそらく火を利用する様になるのは、二百万年前位であろうと思われるが、確実な証拠は見つかっていない。その頃から火を使う技術が発達し、自然発火した火を利用するなり、工夫して発火する方法を発見したであろう。この様にして人類の進化に勢いが付いたのではないだろうか。
2:系統発生する生命
生物は環境にある優れた餌を選び進化する
人類はイネ科の穀物を主食とする事で、これを上手に利用する機能を数百万年の中で構築してきた。それは炭水化物を中心とした代謝システムと云える。最近では、パレオダイエットなる、脂質中心の食事法が脚光を浴びているが、少なくとも日本人の体質を考えると、肉中心の食事は避けた方が無難である。筋肉を分解し、アミノ酸から糖を生成する「糖新生」という機能が備わっている以上、糖を抜きにしては人類は存続できない。
糖が枯渇すると、脂質から得られるケトン体の供給が、間に合わず筋肉は働けなくなり、筋肉は勿論だが、脳も枯渇する糖で活動は低下し、体を守る為に自分の意志では動かすことが困難になる。これは激しいスポーツの最中に起こるが、ハンガーノックと言う。俗に言うエギレである。この時の処方による、飴玉や角砂糖によって即座に回復することを考えれば、糖の吸収がどれ程迅速に行われ、その重要性が理解できよう。
ケトジェニックの脂質中心食をする推奨者は、この事実が理解できないでいるかもしれない。つまり、このエギレの現象は日常生活で体験する事は皆無であり、ストイックに運動を行い極限まで頑張らないと、この状態まで行けないからだ。また、立ち眩みは、急に立ち上がった時に脳が貧血状態となり、ひどい時は「いけない」と感じた瞬間に座り込む余裕もなく昏倒する事があり危険を伴う。脳が一瞬でエギレを起こした状態である。
この様に、糖は生命にとって欠く事のできない重要な成分であり、決してケトン体で代用できる物では無い事を知っておく必要がある。それぞれのエネルギー原としての働きは同じであるけれども、働く「時と条件」が異なり、糖は一瞬のパワーに優れた力を発揮し、貯蔵量が少なく、余分な糖は中性脂肪として蓄えられ、糖の枯渇を防ぐための予備燃料となる。糖の供給が断たれると生存ができなくなる為、脂肪からケトン体を生成して、ブドウ糖を温存しながら、パワーは出ないが、持続する燃料に切り替え、脂肪を消費する仕組みを備えている。
ケトン体が万能燃料であるとし、糖質を制限することを推奨しているが、決してケトン体が糖の代役にはならないことが分かって頂けたであろうか。そして更に注意が必要なのは、ケトン体優位の、ケトジェニック状態を作るには、肉食が推奨されている事である。
と言うのは、動物性食品は腸で腐敗するからに他ならない。便が臭いのは、腐敗菌優勢の腸内環境を示している。馴染の表現を使えば、悪玉菌が優勢になると、菌が産生する化学物質で肉体は汚染され、慢性病の発症リスクが高くなる。発酵菌が優勢の環境では悪臭を感じる事は皆無であり、健康増進の主役を務めてくれるから腸の環境を健全に維持する事は極めて大切である。
糖が悪者に祭り上げられているのは、不完全栄養の精白穀物の過剰摂取が原因なのだが、それを控えようとする行為は正しい。しかし、未精白の穀物は完全調和の食材であり、何ら不都合なことは起こりえない。完全調和の穀類を主食としていれば、健全な心身を享受する事が出来、真の健康体を維持増進する事が可能である。
真の健康体とはどういうものであるかを、「自分は健康である!」と思い込んでいる者に説いても、その思い込みによって聞く耳を持ってはもらえない。【真の健康】を体現した者にしか、理解されないことは承知であるが、そ云う境地もある事実を知って、一人でもそこを目指そうとする人が出てくれば、これ以上の幸せは無い。
「食性」と深く関わる進化の法則を考えると、猿人から人類へと至ったこの事実は、興るべくして興った進化の必然であったと思われる。しかし、現代の大半の国家は、経済優先の社会システムっを地球規模に拡大し、発展途上の国の富を吸収しながら自国の拡大を目論む。
その経済システムは、本来の生物としての人間生理から大きく逸脱してしまっている事に、多くの人は気づけないでいる。経済優先の社会構造は、健康を創り上げねばならぬ食の質を落とし、食源病を誘発する事も厭わない。それは、肉を好み、化学物質に汚染された加工食品の氾濫により、生理機能を破壊せしめ、本来の健康は望むべくもない。この様な食の破壊は、人類を退化させ、絶滅種へと人類を導くことにもなりかねない。
系統発生とは
人の胎内では、化学進化から始まる四十億年の「生命進化」の歴史が繰り返されているのだが、これを系統発生という。妊娠出産という生命誕生に留まらず、すべての細胞が日々新たに生まれ、その目には見えぬが極小の命を全うし、人の生命を支えてくれている。この尊い命の営みが、汚染された食物によって、本来の命の働きを阻害して、私達の心身の生命力を奪い取っていく。目に見えぬミクロの細胞が紡ぐ命の営みは、進化の頂点に存在する人の命と、直結していることを感じて欲しいものである。
ネアンデルタール人として知られる学名「ホモ ネアンデルタレンシス」は絶滅しているが、遺伝子解析の結果、ホモ サピエンスとの交雑が確認されている。このままでは、ホモ サピエンス「知性の人」は、別の種の「痴世の人」へと変化し、絶滅種として後世の人々に認識されるだろう。そして正しい食性を守り「生存の原理」に導かれた種が【知性の人」として新たな進化の道筋を歩む事になるのかもしれない。
3: 恒常性維持機能
代謝機能に欠かせない物質が塩である。脊椎動物は、海を骨や血液に宿すことで、海から陸に上がり進化発展を遂げてきた。それは塩の供給が断たれれば死を意味する事と同義である。減塩が叫ばれて久しいが、その根拠となった疫学調査や動物実験の結果は、信頼性に乏しく、否定された事実があるにも拘らず、未だに減塩思想は根強くまかり通っている。その方が都合がよい勢力もいるのであろうと、訝られても不思議ではない。
肉食中心の欧米人の食文化から導き出され、それに適応した彼らの体質に合った塩分の摂取量であり、日本人の生理には相応しくない。日本人の食文化は、穀類中心で旬の野菜を副食として成り立ってきた民族である。それはカリウム系の食文化で、ナトリウムの排泄を促す食の特質により、醤油味噌の発酵食品や梅干し、漬物、みそ汁などの食体系を何千年も維持してきたのである。どれも塩なしでは完成しない、伝統の食文化である。
減塩は代謝を損なう
減塩が習慣になると、慢性的なミネラル不足に陥って、代謝異常をきたしてしまい、その症状は多様である。代謝が滞る事によって、全身の生命力が奪われ免疫力を失い、心身が虚弱になる。生物がその生命を維持する為に、欠くことのできない自然の恵みが、塩であることを再確認していただきたい。
現在の慣行農法栽培の作物は、五十年前の半分にも満たないミネラルしか含まれていないらしいのだ。更に、食料品店で販売されている、水煮の商品には、ミネラル分がほぼ無いに等しく、僅かな数値しか検出されず、検出不能なものまであるというから恐ろしい。原因はその製造法で、水と薬品に必要以上に晒している為に、養分は溶出してしまって、検出不能になるような事態になる。
だから、ミネラルの供給源としての塩は、益々需要であり減塩などと健康被害を齎しかねない習慣などやめて欲しいものである。そして地球に磁場があるように、生物も磁場を作り微弱電流が流れている事は、ご存じであろう。生命を支える大切な要素なのだが、この生命磁場の形成に微量ミネラルが大きな働きを担っている。
また、海水に含まれる八十三種と言われるミネラルは、血液の酸アルカリ均衡を保ち、細胞外液と内液の濃度勾配・電位購買を調整し、ビタミン等と共同で触媒機能を受け持ち、生体の代謝機能全てに関わり、恒常性維持機能を支えている。この様にミネラル不足は、生命の維持に即影響するので注意して欲しい。
また、ルイ・ケルヴランは生体内元素転換によって、必要な元素は、酵素やバクテリアの作用によって、生体内で供給されることを突き止めている。宇宙で起こる現象が、生体内の小宇宙で再現されているという仮説も成り立つのではないだろうか。
そして、世の中に流通する食品は、悉く消費者無視の経済合理主義に汚染された、ジャンクフードと化している現状を、知ってか知らずか便利さだけ追及する消費行動によって、益々 拍車がかかっている。食生活は生命を栄養する為に必要な栄養素の確保のために、日々摂取しなければならないのだが、只々腹を満たすだけの食行動は、身を亡ぼす元になる事を理解している人がどれだけいるだろうか。
生物は摂取した栄養素によって生かされている。人間も又然り、食べた物によって血液が創られ、心臓の筋肉も、脳細胞も、その血液から日々再生が行われて、その食によって得られる物質によって、髪の毛に至るまで食べた物の化身である。当然の如くその質は重要で、心臓発作を起こすか、脳卒中に倒れるか、或いは認知症を患い徐々に脳細胞の死滅が進行し、生きたまま死んでいく事を実感するのか、自分の選択次第である事を理解して、生命力旺盛で滋養に富んだ食生活を営んで欲しいと、願わずにはいられない。
重要な事なので、繰り返すが、その選択によって、アッという間に寿命が尽き短命で終わるか、長寿であってもベットに繋がれて、苦痛の闘病生活で生きるのか。はたまた、晩年を健康な心身を保ち、残された余生を、充ニ分に人生を楽しむことができるかの選択は、今をどう生きるかに掛かっている事を忘れないで欲しいと、切に願うばかりである。
自然治癒力の強弱は栄養素の差で決まる
自然治癒力と恒常性維持機能は、免疫システムを表したものだが、心臓が常時動いているように、私達の肉体を複雑なシステムが機能して、あらゆる内外の敵から守ってくれている事はご承知であろう。しかし、加齢とともにその能力は低下し、やがて力尽きて寿命を迎える。
これは、自分の意志ではどうにもできない事だと思っている人が大半であろうが、少なくとも、命が尽きるまで、健康でいられる免疫力を維持する事は可能である。加齢とともに低下するのは、免疫を維持強化する為の栄養素が不足するからであり、過不足のない栄養素を摂取して、添加物などで汚染された、現代食を極力遠ざけることで獲得する「超免疫」は。極上の健康をその心身に授けてくれる事であろう。
つまり現代人の多くは食源病で病み、医源病でその生命を危うくしている事を、対岸の火事を眺めるが如く、身近な人の闘病の苦しみにも、真摯な思いは感じられない。寿命だからと諦めの境地なのか、逝く人も、見送る人もどこか達観しているように感じてしまう。食養の重要性を知る私からすれば、実にじれったく隔靴掻痒の感をぬぐえない。
これがまだ若い若年層であれば、もっともっとあがき、何故こんな事になってしまったのかと、もがき苦しむのであろうが、解決の選択肢が食養にあるなどとは夢にも思わない。これが教育を奪われ、徳や食養を身につけずに生きて来た者の限界なのかもしれない。だが、その様な教育は受けなくとも、人との出会いや、出版物などを介して、直観が働き、気付くものではあるが、その直観力さえも働かなくなったのが現代人なのであろう。
食養とは、食によって心身を健やかに保ち、人生を価値あるものにする為の処世術であり、本来の意味の自分を処する為の処方箋なのである。現代医学が処方するのは、単に症状に応じた薬剤を選択しその服用を支持するだけの書類を処方箋という。これでは薬剤による副作用が心身を蝕み、病氣の根本治療には程遠く「薬 源病・医源病」を誘発する危険を増すばかりである。
正しい食養の在り方を身に着ける事によって、医療に係るリスクを避ける事ができる様になり、人間本来の病に翻弄されない、自由な人生の選択を可能にする。病に侵されるかもしれないという不安や、実際に慢性病を発症し、その為に費やされる膨大な無駄の連鎖は、正しい食養の知恵を学んでいれば、あなたにとっては全く必要のないものなのであって、そこに充てられた資本を、豊かな人生構築の為に使えるとしたら、どれ程の社会貢献ができるのかを一度考えて欲しいものである。
4: 過食ストレスと飢餓ストレス
現代はストレス社会である。肉体的・精神的ストレスが容赦なく襲いかかる。人間の病の原因は、このストレスの継続によって引き起こされている。精神的ストレスは様々であるし、誰もが経験する事であるから説明の必要はないであろう。精神的ストレスによる肉体の反応は、ストレスによって血液が酸性化する事で惹起される。そのメカニズムは、これから説明する、肉体的ストレスと何ら変わらない。
過食ストレスの弊害
現代社会の肉体的ストレスとはどんなものなのであろうか。命まで削り取る重労働は、少なくとも日本社会では、存在しないであろう。あえて挙げるとすれば、世界のトップを目指しトレーニングをするアスリートかもしれないが、科学的トレーニングで管理されている現代では、やりすぎる事はあまり考えられないかも知れない。
しかし、翻って大相撲の力士は、古典的な稽古の習慣が今尚受け継がれていると聞く。彼らは筋肉を大きくするトレーニングよりも、肥る事が求められる。肥満過食であることの方がストレスの比重は大きいと云わざるを得ない。激しい鍛錬と肥満によるストレスによって、角界に生きる人々は概ね短命の傾向が強い。
また、ビジネスマンの過労死の問題が時折指摘されるが、過労を処理できない、その脆弱な心身こそ問題なのであり、脆弱な心身の最大の原因は、生命力を失った現代食にある。そこに焦点を当てなければ、解決の糸口が見いだされる事は無いであろう。肉体だけでなく、そのストレスを克服できない精神の弱さこそ問題ではなかろうか。戦後「生きる事の意味」を問うて来る事のなかった教育の問題がここでも大きな影を落としている。
ビジネスマンや、力士の命を削ぎ落す不自然食、そしてそれと大いに関係する過食によるストレスこそ、現代社会に巣くう肉体的ストレスの代表だと云ってよいだろう。現代人が日常摂取している食事内容は、身を亡ぼす悪魔の食と言っても過言ではなく、生命の根源の氣であるエネルギーを失い、命を生かす基幹物質が不足した、不自然極まりない食品と化している。
その為に必要な栄養素を求めて、体が「もっと、もっと」と要求する姿が過食であり、飽食と言われる現象に表れている。その実態は、美味しい物を食べたいという単純な欲求ではなく、生命の根幹に関わる生理的な要求から発せられている。その切実な命の営みから届く、警告の意味を誤解してはならない。
それは、長寿遺伝子が発言すると言われている満福度合いが、腹八分で充分な滋養のある食を求める「内なる叫び」であり、飽食を求めるものでは断じて無い。実際は腹八分では不十分で、自分の活動量や、人体生理から導き出された、理想体重から増えれば食べ過ぎで、その体重を維持できる食事量をコントロールする事が大切となる。正しい食であれば、何の苦労もなく調整されて然るべきものである。
だが、この不自然極まりない食を正しい食と勘違いし、その過食によって肉体はストレスに晒され、血液は浄血が.間に合わない程の酸毒傾向を示し、その解消の為に全身の筋肉や骨に蓄えられている、生命基幹物質が動員され、不自然食の度合いが強い程に、汚染物質や、ミネラル ビタミンなど栄養不足のしわ寄せによって、生命力が失われるのである。
生命力の衰えは、全身の臓器の生理機能を狂わせ慢性的な多臓器不全を引き起こす。認識し易いのは、倦怠感や皮膚炎などの不調となって現われる。その症状は様々であるが、健康な時に感じなかった不調は、不自然食の蓄積による免疫力の低下が原因であるという事実を認識することが重要となる。
不自然食で成り立っている現代社会で、健康な状態を維持している人を探すほうが難しい。不調を感じた事がないという人は、健全な食生活を続けて「真の健康体」を維持しているからに他ならない。或いは、もしかすると、有り余る生命力。即ち、充分な栄養素を蓄えられる体質によって、解毒機能が旺盛な人物である可能性があるが、現代の不自然食を摂取しながら、微塵も不調を感じない御仁が存在するかは疑わしい。
その為には、完璧な食事管理が必要であり、汚染物質を極力除いた自然食の、伝統和食が理想食である。その食文化がこの国の世界に冠たる文化を育み、小食でありながら強靭な肉体と精神力を備え、数千年この国の文化を支えてきた庶民は、幕末から明治にかけて訪日した、外国高官から「民度が高く高貴である!」と称された我々の祖先の様に、伝統の食文化を復活して、不自然食を食卓から排除し、滋養豊かな食によって、男女の区別なくこの国の細石となろう。
飢餓ストレスとは
人類は飢えとの戦いで、数百万年を生き抜いてきた歴史を持つ。その為に空腹時にこそ、命をリフレッシュする有効な生理機能を獲得してきたものである。事項の免疫機能で詳細を記すので簡単に述べるが、今でも餓死者が年間二千万人出る状況にあり、今尚飢餓との戦いが開発途上国では続いているが、これは世界の「いびつ」な構造による影響が大きい。
その日暮らしであった太古の昔は、食糧確保が日常の重大事であり、その為に一日を費やしていたであろうと思われる。常に飢餓ストレスに晒されていたであろう。その環境で怪我をしたり、病気をすると食料が途絶え、絶食状態で飢えをしのぎ、回復を待つのだが、それこそが怪我を修復し、病を癒す最適な生理機能が働くシステムを創り上げたのではなかろうか。空腹は第八の栄養素であることの認識を持って健康創りの糧にして貰いたいものである。