第五章「気と潜在能力」 2
2: 生命を支える氣
氣を取り入れる三つのルート
私達の身体は、四十兆もの、細胞から成る微生物の集合体であり、さらには百種百兆個の腸内細菌が生息する、生態系が構築されている。
これらの微生物は独自に、あるいは組織として無意識の支配を受けて一人の人間の命を支えている。しかしこの百兆もの生態系の環境を、健全に保つか否かは無意識ではなく、自由意志を持つ我々自身の責任なのである。
その環境とは、生命には 欠くことのできない、地球丸ごとの大自然である。大気と水が清浄であれば申し分ないが、現代社会でそれを求めるのは、厳しいのかもしれない。しかし、正しい食習慣があれば、大気や水の汚染も難なく処理するだけの生命力を、与えられているのであるが、汚染されて生命力を失った食は、逆に人の生命力を奪ってしまう為に、食害によって生活習慣病に侵されてしまうのである。
私たちが食物を摂取する目的は、その生命力を戴く事である。この生命力とは種子の様に条件が整えば、次世代に命を繋ぐことのできる生命そのものであって、精白した穀物であったり、切り身の肉では命を養う事はできない。調理するまで生きていた新鮮な食材が、命の糧となるのである。
加工食品などの、命を失った不自然食を摂取する事で、体内環境が汚染され、百兆もの微生物の健全な生態系は崩壊し、我等の肉体も次第に生命力が失われて生活習慣病の原因ともなる。
この様に食物に蓄えられた生命力が、他の生命へと受け渡されていることを忘れてはならない。そして微生物を含めた、百兆もの命の波動が収束して、私たちの意識が形成されているとも言えるのではないだろうか。
これらの生命の生息環境が悪化すれば、波動が乱れ、意識活動の混乱を招き、精神荒廃へとつながる事は当然の成り行きと言える。食の乱れが犯罪の温床である事は多くの研究報告がある事実なのである。
正しい食性を理解し、食を変えるだけで、宇宙の清廉の氣が三つのルートから流入し、活力に満ちた完成された肉体となる。
- 精 氣 神 の氣の流れ
- 「精」~ 摂り入れる食物の持つ生命エネルギー
- 「氣」~ 身体の細胞が持つ活動エネルギー
- 「神」~ 無意識を通して流入する根源のエネルギー
- この各々の経路から得られる氣の質を高める事が、生命力の向上を意味し、
健康と平和と安寧への道でもある。
積極の気
「精氣神」の氣の経路は質の違いはあるが、当然誰でも持ちあわせて氣の恩恵を受けている。食の質を高め意識を少しだけでも自然と調和すれば、氣の質量は向上するだろう。だがもっと積極的に氣を高める道を目指して欲しいと思う。
その真髄は武道や宗教など心身の鍛錬によって、生死を超えたところで得られる英知であり、悟りの境地でもある。武道や宗教に限らず、あらゆる道を究めようとすれば、氣と云う究極の一点に向かうようである。
悟りによって得られる英知は、潜在する才能を遺憾なく発揮せしめ、後世に名を残す働きをする。しかしながら一般の人間にとっては程遠い境地でもある。
そこで一日数十分の氣功、または瞑想を薦めたい。氣の修練を積むことで、体の中を隈無く流れる氣を感じ取れるようになってくる。訓練を積めば太く強い氣の経路を形成し、意志の働きで氣をコントロール出来る様になる。この様な氣の感覚を得ることは、それ程難しい事ではなく、趣味程度の取り組みで可能だろう。
何故積極的に、天地のエネルギーである氣を、取り入れる必要があるのだろうか。 食物の持つ生命力を戴く事で得られる、エネルギーだけでも良さそうだが、こんにちの現状では至難と言わざるを得ない。
更に現代の様々なストレスによって、氣の通路は細くなり滞っているために、本来流れるはずの天地の氣は僅かしか流れず、自然の大いなる恵みを受けられずにいることは、肉体的な健康を失うばかりでなく、意識さえもどんよりと停滞し活力を失いかねない。ましてや人生の輝きさえも失うことは悲しいことである。
天地の氣を自由に取り入れられるようになると、心身が充実して体も軽く、爽快感に包まれる。自然と一体になることで得られるこの感覚は、これまで述べてきた「生存の 原理」に従って生きる事が、宇宙の意志に叶い、そこから乖離した生き方は不調和を産み、正しい生き方を希求する様になる。
この真理を理解する上で、積極的に氣を取り入れる事は重要な意味を持つ。しかも比較的簡単でそれほどの苦労もなく、楽しみながらできる最適な手段なのである。是非人生の深淵に触れる冒険に踏み出して頂きたい。
3: 食と気と世界平和
食の改善によって体内環境を整えると云う事は、宇宙根源の氣を取り入れる事にほかならない。その清廉な氣を満たす事で、人は心身を健やかに保つ事ができると同時に、真理の一端を垣間見る事もできるだろう。
だが食の在り方を決定するのは、自由意志にに委ねられている。健康に悪いと知りながらも、美味しいものを求めるのは人情でもある。
街には世界中から集めた食材が溢れ、好きな時になんでも食べられる。それはとりもなおさず、大量の食材が無駄になるという事でもある。日本だけでも、一日に何百万食もの食材が廃棄されている。途上国では多くの人々が飢えているのにも拘わらずである。
世界人口の二割を占める先進国が、世界で生み出される富の八割を分けあっている。資本主義の経済システムは、弱者から収奪する側面が強い。
日本は明治以降に近代化が成功して、ある意味日本も収奪する側に席を置いているが、先進国の一般の人々も巧妙に、強者から搾取されていることに変わりはない。或いは自然を破壊し、自然から収奪し尽くそうとする。人々を奴隷と気づかせぬ巧妙な仕組みが、資本主義の経済システムだと断言するのは乱暴だろうか。
大国がその権威によって世界基準を設け、そこに全世界を組み込もうとするのは、世界の頂点に向かって富を吸い上げようとする集金システムと言って良いだろう。
そこに組みしないアラブ諸国のオイルマネーが、かつて世界を席巻した。その後エコノミックアニマルと揶揄された、ジャパンマネーが一世を風靡したが、いずれも大国の世界戦略によって、潰され掻き消えてしまった。
アジア諸国の経済発展が目覚しかった1997年、アジア金融危機が起こった。こういう現象は仕掛け人がいて、富が雲散霧消するのだが、その消えた富というのは、何処かに吸い上げられた結果である。
ソ連の崩壊により、自由主義が勝利した様に見えるが、現在の資本主義経済は、破綻せざるを得ない。それは強者だけしか残らないシステムであるからだ。最後には、一強の巨大企業が残り、世界を支配して自由主義経済は終焉を迎える。
ところが、それを許さない勢力も存在するので、ワンワールドを標榜する一派が無理強いすれば、大変な悲劇が再現される事も起こり得る。
しかしこの矛盾に満ちた経済システムの、次の受け皿がまだ整っていない。誰でも豊かさを享受して、自然と共存できる循環システムの構築は焦眉の急を要する。それには何がキーワードになるのだろうか。
現在のエネルギーを生産するシステムは、非常に効率が悪い上に多額の資金を必要とする。大企業が利潤を目的として、取り組むシステムはこれを避けられない。
日本の技術は、世界で最高水準と評価を得ている分野も多いが、大企業が開発する最新技術は、世界の注目を集めて、世の中に受け入れられることも多い。そうゆう先端技術を支えている企業の多くは、物作りを得意とする町工場である。
そんな、中小零細企業から生まれる、効率の良い画期的技術は、世の中に受け入れられることは無いと言ってもよいだろう。百年前に効率的発電システムを開発した、ニコラ・テスラと云う天才科学者がいたが、あまりに斬新過ぎて、資金提供が打ち切られたと言う。
この様な人類の平和と幸福が優先されるのではなく、強者の理論によって構築される社会システムは改められねばならない。
亡くなられた船井幸雄氏によると、今、日本には本物技術が沢山生まれていると言う。本物技術というのは、現在の経済システムには受け入れ難い技術の事である。安全・安価・高品質で万能という特徴を持っている。
技術立国、日本を陰で支えているのが、中小の町工場である。様々な技術が町工場などの中小の企業で開発されているらしいのだが、中には革新的な発明発見があっても、既存の基幹 産業を圧迫するような画期的技術は、世の中に認めてもらえないことも起こる。
新しい技術やシステムが、権力者によるものではなく、人類の平和の為に優先される仕組みを、共存共栄が基本理念の、技術立国日本に於いて、ゲームチェンジャーとなるイノベーションが起こり、有無を言わせず、世界を変えていくような大変革を期待したいものである。